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☆TAKISHITA RYO Official Blog ☆

舞台が、僕を救ってくれていた(「シバイハ戦ウ」)

2022/05/27
 

8月「突然、こんなメールでスミマセン」

2021‐02‐06 17:53
 

この田河という役を読んだとき
僕はこの芝居の出演を決めた。
 

 

新型感染症が変異を重ね
止留まることなく拡大し、
 

今や劇場でやるエンターティメントが困難で
ましてや人が密集して盛り上がる
小劇場なんて絶対禁止という未来。
 
劇場から芝居が消えた。

 

アルかもしれない、近未来の物語。
 

 

「これはすぐに演らなきゃいけない台本だ」と思った。
 

 

「突然、こんなメールでスミマセン」
 

俳優の吉田テツタさんから
「タッキー今、台本書いてるんだけどできたら読んでくれる?」とメールが来た。
 

かの世界的感染症の影響で
2020年7月に
やっと一度目の緊急事態宣言が解除された。
 
なんとなく世の中が
これから落ち着いてくるのかなと思っていた
8月も過ぎた頃だ。
 

「楽しみにしています」と僕は返信した
 

  数年前(だいぶ前)
テツタさんの芝居を観たあと呑み屋で
「書いた本にタッキー出てくれる」と 冗談か?ホンキか?
分からないような仏器ら坊に言われたことがあった。
 

テツタさんとお芝居を作る。
 

このブログで、撮影日記に登場した。役者仲間の吉田テツタさんだ。
心に、うずくものがあった。
 

僕といえば 4月の下北沢の公演も中止になり、
秋公演に抑えていた劇場も劇団が  

早々にキャンセルを決め稽古場で
小規模の少人数へ向けたアトリエ公演の準備をしていた。
(「僕のマイシネマパラダイス」より)
 

感染拡大予防政策の営業自粛で
僕の演ってるショーの仕事は
減り、役者仲間と交流もなく、
 

劇団では ZOOMのリモートの稽古が始まったけど
何かがぽっかりと空いているのに
日々が忙しかった。
 

「また書けたので読んでください。
感想教えてください」
 

ひと月くらいして
またぶっきらぼうなメールが来た。
 

 

読んでみると
セリフに 舞台芝居への愛が満ちて、いた。    

 

田河は
冒険探検家インディージョーンズのごとく
 

「小劇場」という
古代遺跡で行われた
 

「演劇」と呼ばれる
太古の神秘とロマンを求めて
 

かつてあったとされる
「小劇場の跡地」に潜入する。
 

この「一度も観たことのない演劇」を
芝居すら体験をしてない彼の

 

 

「芝居、面白そう」

 

という想いが、何よりも
芝居を始めたばっかりだった
30年くらい前の
 

僕の姿に重なった。
 
初心に還りたい、
そんな思いもあった。
 

しかも、
『コロナで芝居が、
普通にできなくなった
今こそ、
何を創ることができるのか?』
 

 

僕たち役者と
お客様のリアル。

 
「演らなくちゃならない」
 

このコロナで仲間の芝居が
いくつも中止になって
演る方も観にいく側も、
どうしようもないリスクを背負いながら
 

(芝居を救い
僕を救うかもしれない)

 

後ろめたい気持ちと、
言いようのない緊迫感の中で、
 

「劇場」という時間の
その意味や業(ごう)と
 

 

テツタさんの描く物語が重なった。
 

「演りたい」
 

芝居を愛す仲間と
芝居が大好きな僕
世界に取り残されて
でも、歩んでいこう。

 

「これは今すぐ演らないといけない台本ですよ」
と返信した。
 

 

 

「もし公演を行うことになった場合は
来年2月以降になりそうな、感じなのですが」
 

 
東京オリンピック2020年は
延期になった。
世界のイベントは死んだ。
 

(僕らは小さく
闘えるか?)

8月「突然、こんなメールでスミマセン」

2021‐02‐06 17:53
 

この田河という役を読んだとき
僕はこの芝居の出演を決めた。
 

 

新型感染症が変異を重ね
止留まることなく拡大し、

今や劇場でやるエンターティメントが困難で
ましてや人が密集して盛り上がる
小劇場なんて絶対禁止という未来。
 
劇場から芝居が消えた。

 

アルかもしれない、近未来の物語。
 

 

「これはすぐに演らなきゃいけない台本だ」と思った。
 

 

「突然、こんなメールでスミマセン」
 

俳優の吉田テツタさんから
「タッキー今、台本書いてるんだけどできたら読んでくれる?」とメールが来た。
 

かの世界的感染症の影響で
2020年7月に
やっと一度目の緊急事態宣言が解除された。
 
なんとなく世の中が
これから落ち着いてくるのかなと思っていた
8月も過ぎた頃だ。
 

「楽しみにしています」と僕は返信した
 

 
数年前(だいぶ前)
テツタさんの芝居を観たあと呑み屋で
「書いた本にタッキー出てくれる」と 冗談か?ホンキか?
分からないような仏器ら坊に言われたことがあった。
 

テツタさんとお芝居を作る。
 

このブログで、撮影日記に登場した。役者仲間の吉田テツタさんだ。
心に、うずくものがあった。
 

僕といえば 4月の下北沢の公演も中止になり、
秋公演に抑えていた劇場も劇団が  

早々にキャンセルを決め稽古場で
小規模の少人数へ向けたアトリエ公演の準備をしていた。
(「僕のマイシネマパラダイス」より)
 

感染拡大予防政策の営業自粛で
僕の演ってるショーの仕事は
減り、役者仲間と交流もなく、
 

劇団では ZOOMのリモートの稽古が始まったけど
何かがぽっかりと空いているのに
日々が忙しかった。
 

「また書けたので読んでください。
感想教えてください」
 

ひと月くらいして
またぶっきらぼうなメールが来た。
 

 

読んでみると
セリフに 舞台芝居への愛が満ちて、いた。    

 

田河は
「小劇場」という
古代遺跡で行われた
 

「演劇」と呼ばれる
太古の神秘とロマンを求めて
 

研究探検家インディージョーンズのごとく
かつてあったとされる
「小劇場の跡地」に潜入する。
 

この「一度も観たことのない演劇」を
芝居すら体験をしてない彼の

 

 

「芝居、面白そう」

 

という想いが、何よりも
芝居を始めたばっかりだった
30年くらい前の
 

僕の姿に重なった。
 
初心に還りたい、
そんな思いもあった。
 

しかも、
『コロナで芝居が、
普通にできなくなった
今こそ、
何を創ることができるのか?』
 

 

僕たち役者と
お客様のリアル。

 
「演らなくちゃならない」
 

このコロナで仲間の芝居が
いくつも中止になって
演る方も観にいく側も、
どうしようもないリスクを背負いながら
 

(芝居を救い
僕を救うかもしれない)

 

後ろめたい気持ちと、
言いようのない緊迫感の中で、
 

「劇場」という時間の
その意味や業(ごう)と
 

 

テツタさんの描く物語が重なった。
 

「演りたい」
 

芝居を愛す仲間と
芝居が大好きな僕
世界に取り残されて
でも、歩んでいこう。

 

「これは今すぐ演らないといけない台本ですよ」
と返信した。
 

 

東京オリンピック2020は
延期になった
世界のイベントは瀕死のまま

 

「もし公演を行うことになった場合は
来年2月以降になりそうな、感じなのですが」
 

 

 
(ボクニ、ナニガ、デキル)
 

 

今は9月だ。
もしかしたら収まっているかもしれない
という希望があった。
 

 

「内容が内容だけに
情勢はどんどん変わるだろうし
どうですかね・・・? 遅すぎますかね…?」
 

 

タイミングは僕らのできる時だ
もっとも世の中が戻っているなら
 

それこそ、この芝居を
沢山の人たちに観てもらいたい
 

そして 第二稿の台本が来た。
僕は「何があっても演ります」と答えた。
 

「あと、題名を変えようと思ってます。
【芝居は戦う】にしようと思ってます。」
 

 

 

いいじゃないか
 

 
ボクハ
シバイデ、タタカウ
 

戦いは
乗り超えて
 

その足跡を
次の世界に
 

つなぐためだ。
 

 
こうして
僕たちの
「シバイハ戦ウ」が、
スタートした。
 

 

 

12月「顔合わせ」

 

「今まで観た芝居で、一番は何?」
 

という質問を吉田テツタさんがした。
 

 

役者仲間に会うのが嬉しいのは
コロナで仲間の芝居を観られなくなったからだ。
 

自粛もあり、
中止もあり、
だから劇場に来る事こそ久しぶりだった。
 

12月初旬「シバイハ戦ウ」の顔合わせがあった。
 

場所は三ヶ月後に僕たちが公演の本番を行う
「スタジオあくとれ」という劇場だ。
 

古いマンションの地下にある劇場で、
もう何十年もこの場所で
芝居が行われて続けてきた
 

芝居の空気が染みついた小屋。
田河が劇場を体験するのに、ふさわしい場所。
 

中野駅から線路沿いの商店街を歩きカフェベローチェの手前、
見過ごしてしまうような看板、
劇場の門がまえと言うよりは地下駐車場への入り口みたいだ。
 

簡単なアルミ戸が開いていた。
細くて急な階段を降りると、
寒々とした鉄筋コンクリートの空間がある。
 

夕闇の中野駅は急ぐ帰宅の人たちに活気があった。
 

この秋GoToキャンペーンなどが
全国的に行われたのもあったのだろう。
僕もGoToイートを使って地元のハンバーガー屋さんで
挽肉ビーフバーガーを1度だけ食べに行たっけ。
 

街に人が巡り始めたのかもしれないと思った。
 

だがつい先日
そのGoToのキャンペーンも一斉に取り辞めになったが。
 

舞台の上に長テーブルを5つ並べて
半円にソーシャルディスタンスの感覚を
とり全員マスクをしながら始まった。
 

まるで同窓会のような雰囲気だった。

 

 

全員が、そろった。
 

 
つい先日、
本番を終えてPCR検査のことを話している山口雅義さん、
中止になった公演を悔しそうに語る池田ヒトシさん、
tumazuki no ishiはしばらく観ていないが
初めて共演する日暮玩具さん、
 

演出助手をしてくれる松岡マリコさんも途中から加わり、
 

今回の作・演出、プロデュースしている
テッピンの吉田テツタさんはみんなのテーブルに
持ってきたミカンを紙袋から一個づつ忙しく置いている。
 

劇場の設備を確認していた
舞台監督の横山朋也さんも控えていた。
 

一通りの説明が行われ、自己紹介があり、
 

出来炊てホヤホヤの決定稿を読んだ。
これからこのメンバーで、芝居を創る。
 

 

「今まで観た芝居で、一番は何?」

 

 

なんだろう。
一人一人の話を聞きながら考えていた。
 

 

演劇、小劇場、芝居。
なんだか分からないけど興奮した。
前のめりに舞台にかぶり突いた。
 

 

大きな音響、役者の怒鳴り声、
芝居の筋なんか覚えていない。
劇場という空間で
人が非占めき合う熱気と興奮の体験。
 

僕もたくさん観た。
 

面白いと思われるもの
噂、感想を聞いたもの
ネットなんてない時代とくに
手当たり次第、足を運んだ
 

たくさんの芝居、公演。
 

街中の小さい劇場や突き当たりのスタジオ、
駅から歩いた大きなホール、神社のテント、
野外劇、画廊や古民家、
マンションの一室で行われたものなんてのもある。
 

 

メンバーたちの
語る顔は歓喜していて、
誰もが
人生の何かを変えていた。
 

そして芝居を続けている。
 

「タッキーは何?」
ついに呼ばれた。
 

「僕のは、
 

劇場で見た芝居じゃないんですけど、」

 

 

こんなところで劇をするのか?
 

 

プロの作品ではなく在学中の演劇部員が5人くらいでやっていた
高校一年の時に観た演劇部の新歓(新入生歓迎)公演だ。
しかも観たのはちゃんとした劇場じゃない。
 

 

体育館で幕の閉まった
素舞台で見た芝居だった。

 

でも僕は、感動した。
芝居はどこでもできるんだ。
こんなに楽しませることができるんだ。と。
 

高校一年生の
入学まもない頃だ。
 

部員の人から
廊下で渡された手書きのチラシには
「くりえいた〜ず」と題されていた。
 

開演時間と場所は
それを頼りに
体育館まできた。
 

放課後の体育館は
バスケ部やバレー部が練習している
「ソォーレッ!」とか「ヤーっ!」という掛け声している
 
この部活見学ではないだけに、遠慮しながら
 

ボールを打つ音や部員たちの行き交うコートの壁際を
仕切りのネットを跨(また)いで
邪魔をしないように抜けて
 

校歌のボードがかかる
白い鉄扉の向こうにやっと入った。
 
入り口には受付をやっている女の生徒。
 

不安な感じ、チラシを何度も見返したが、
ここしかない。
しかも、もうすぐ開演時間だ。
 

緞帳(どんちょう)の閉まった
体育館の内側舞台へと上がると
同じ制服の生徒が数人座ってる
 

「こんなところで劇をするのか?」
 

信じられないまま照明はよく見る蛍光灯。
平舞台に客席のように折り畳みの椅子が並べてあり
 

「今年の新入生ですね」と
 

案内されるまま空いている一番前に座った。
 

僕の思っていた「お芝居」とは違っていた。
幕の内側にはセットも飾られていない、
むき出しの体育館で板間だ。
 

舞台?中央に、
階段みたいな白い木箱だけが置いてあった。
 

蛍光灯が消えた。
 

閉じられた大幕の袖は
こぼれた光りの隙間から
ボールの跳ねる音と掛け声で揺れた
 

うっすらと
四人の先輩が並んでいるのが気配と影でわかる。
 

明るくなると大きな音で洋楽が流れ
土着的なリズムのダンス。物語が始まった。
 

小気味よいセリフのやりとり、ドタバタだ。
笑った。もうなんか、掴まれた。
 

僕とあまり変わらぬ身近な人たちが、
弾むように活きていて
すぐそこにいて
とてもかっこ良く見えた。
 

体育館の平土間に、突然ステージが現れた。
外の音なんか気にならなかった
 

物語は、クリスマス前夜。
 

配送の職場に子供が迷い込んできて引っ掻き回す。
実はそこは
クリスマスプレゼントの配送営業所で
普通のバイト員に見えたのは
 

サンタクロース達だったのだ。
みんな赤い服を着ていない。
街でよく見る普段着だ。
 

サンタは白髭のおじいさんでは
なく普通の若い人たちがやっていたのだ。
 

イブの夜にだけ集まり日本の子供たちに
プレゼントを渡し存在を知られないまま
喜ぶ姿を想像して働いている。
 

学校という
日常の中で「くりえいた〜ず」は
まさに多くの人の目に触れず、
しかも熱く上演された。

 
体育館の幕の内
蛍光灯が照明で
木の箱が置かれただけの
素舞台で。
&nbsp

劇が終わると、
また部活動の声が聞こえてきた。
ほんとに面白かった。
 

舞台でくり広げられた
情熱に僕も参加したかった。
 

このメンバーになりたかった。
 

昭和の小劇場ブームが
円熟を迎えつつあった1987年。
バブルに向かって大いに
さらに盛り上がっていた頃
 

小さな劇団が、次々と大きなホールに進出し、
驚くべきイベントを巻き起こし、
それを観ている学生世代「高校演劇」が
盛り上がっていったそんな時期
 

そんなことも全く知らない
僕は新生活に胸躍らせ
新しいことを始めたかった。
 

 

数日後、
演劇部への入部を決めた。
 

 

僕の芝居へのスタートは
ここだった。
 

 

何もない空間に、ひとたび踏み出すと
普段の日常から
何か違う世界に吸い込まれ熱を帯び
終われば再び日常に帰っていく。
 
 

観終わった後に自分の歩くテンポが
興奮していて胸の奥に揺れる
この熱い火のおかげで
明日も学校に行ける。
 

 
学生服で
いろんな芝居を
観たあとも
そう思った。
 
放課後、劇場へ足を
運ぶのが、
めちゃくちゃ楽しみだった。
 

 

話すと、心の中が、
あたたかくなった。

 

2020年12月上旬あくとれで行われた
「シバイハ戦ウ」の顔合わせは、
来年2月からの稽古予定を渡され、
 

ひとまず解散ということになった。
 

「公演をする3月には、
この状態が良くなってくる」と信じて。
 

 

ところが
年を明けて関東の1日あたり
コロナ感染者数が2000人を越える日も出てきた、
 

1月8日には再び非常事態宣言が始まる。
 

芝居を簡単に
演ることも観ることも
できないという時期。
 

コロナという通過儀礼を
芝居が試されているからだろう。
 

今でしか感じられないこと。
共有が、しにくいという状況。
 

全ての人々で
なくていい
 

劇場へ足を運んでくれた
人たちに渡したかった。

 

永遠に、
思える一瞬を
創るために。

 

 
 

 

1月「稽古場が、なくなった⁈」

 

 

借りていた2月8日までの
稽古場が突然、無くなった。
 

まだ稽古も、始まっていないのに。

 

中野区の施設で稽古をする予定だったが、
このまま宣言が伸びたとしても
 

そのあとも
7日以降の現在予約している部屋も
いつ使えなくなるか分からなくなった。
 

その先
はたして幕は開くのか?
それさえもわからない
 

とりあえず8日までの稽古場をどうするか?
 

僕らは
夜のみを中野の区民センターを
転々と借りることにしていたが
 

2月8日まで20時以降の
外出自粛にともない
夜間貸しが短縮され、
 
使えたとしても四時間が
半分の二時間になってしまった。
 

 

しかも借り代は据え置きと、
コスパも悪い。

 
そして続く
稽古場が、ない。
 

ゆっくりと漠然と何かが進んでいる感じ。
茫然(ぼうぜん)とした
 

青い空にゆったりと巨大な雲が覆い被さって、
その影が大地を包み込み始めているような
 
 

それは若い頃に読んだ演劇本の
ロシア革命前夜の
劇場や稽古場の雰囲気にも似ていた
 

 

 

「劇場で自由に公演がうてない」
「あの台本のセリフが検閲で削除された」
 

 

初めて「演出家」という発明をした
スタニラフスキーの稽古場でも
話されただろう。
 

 
学生時代から20代の前後
芝居を学ぶには
本を読むしかなかった。
 

スタニスラフスキーの自伝や、
メイエルホリドの伝記にも
ワフターンゴフの演出本にあった
風景と重なった
 

 
でも
遠く聞こえてくるその知らせにも
当時の芝居人たちは
それぞれの稽古場や
劇場に向かっていた。
 

「(2月の)8日まではリモート
稽古になるかもしれません。
どう操作するかわかりませんが」
 

リモート稽古の功罪

 

「リモート稽古」とは、
この頃芝居作りで流行りだした

 

直接に人に会わずに自宅などから
通信端末をつかってテレビ電話で
稽古をすることだ。

 

 

「おお最先端ですね!」と僕

 

去年の劇団公演で自宅から
スマホでのZOOMを使った
リモート稽古を経験していたので、
それもアリだ。
 

 

「リモートか、、」
 

並ぶLINEの吹き出しに
年配の池田ヒトシさんが
懸念した。

 
 

僕みたいに劇団で芝居を創るなら、
相手役は、知った仲間だ。
 

本番を何度も踏んでいるし
みんなの作り方が想像できる。
 

何年もやってきた作風やイメージが
感覚的に染み付いている。
 

 

でも台本は「イメージ」に過ぎない。
役者同士が直接、交(まじ)わらなければ
本当の交流はできない。
 

「初めての座組み」と「新作」だ。
 

 

リモート稽古の危うさは、
演った気になるところだ。
熟達の芝居人
池田さんは知っているのだろう。
 

 

「演った気に、なる」

 

スマホによる
SNSと配信映像テクノロジーは
いとも容易(たやす)く
人と人とを近づけた。
 

しかし、
どれだけ配信スピードが速くなっても
どれだけ映像が鮮明になっても
 

目の前にいる相手自身に
絶対直接、触れていない。

 

手触り、体温、息遣い、表情、匂い。
 

 

それらは鮮やかなモニターの映像や
チャットで流れる言葉の配列からは感じられない。
 

確かなのは
漠然とした、妄想だ。
 

 

「バーチャルな存在」
 

この状況は、知らずに僕らを
「不感症」にしている

 

いつから僕らは
頭ん中だけで
処理して満足するようになったんだ。
 

マスクで表情や会話を遮り
対話は、スマホ画面の吹き出しか
 

 
薄いセロファンを
かさねた記憶だけが、
僕らの思い出になっていくのか。
 

 
なんだか、寂しかった。
 

世界は変わった。
 

この感染症こそ
ネット進化繁栄を後押しした
最大の事件だ。
 

「演った気に、なる」

 

「バーチャルな不感」は
毒なのか麻薬なのか、
僕らの進化なのか

 

「杉並区が、まだ施設を貸している!」
と池田さんの知らせがあった。
 

「おさえてください!
タッキー、空いていますか、日暮くんも」とテツタさん。
「もう一度みなさんの、20日までの予定を教えてください」
 

リモートにならずに済んだ。

 

ロシアと僕らの小劇場

 

 

 
嬉しかった。
息がつながった思いだ。
 
まだ、稽古もしてないのに。
 

 

かつて芝居が、
劇場を謳歌していた時代に
近づく革命の足音だ。
 

 

先の見えない方へ
向かっていく
不安な情勢にも
 

 

チェーホフの新作に、
どれだけ人々が喜んだか。
 
そんな風景を思いだす。
 

 

 
革命からのち
スタニフラフスキーが求めた演技術と
その方法は、大陸を渡り
 

 

アメリカの映画演技メソッドに生かされ
役者のリアリズム演技を流行らせた
スタニラフスキーに対立したメイエルホリドの方法論は
60年代の前衛演劇で確かな礎となり、
 
のちにベケット「ゴドーを待ちながら」など名作を産む
 
 
ジャンルをかえて、ダンスの世界は
コンテンポラリーの脈流にも
影響を与えた
 

 
そして
ワフターンゴフのリアルと象徴と
アマチュアイズムの手法は
 

僕らの小劇場の芝居に
つながっている
 

 

今、世界が変わっていき
僕たちは小劇場という
 

古いOSのまま
翻弄されて

 

時代の胎動を
感じながら、
稽古が始まる

 

 

1月「稽古初日」

2021-2-16 12:06

僕が初めて舞台に立った街

 

 
「阿佐ヶ谷駅」
 

駅前の広場が、とても懐かしかった。
僕が、初めて舞台に立った街だ。
 

 

「シバイハ戦ウ」稽古初日。
 

杉並区の稽古場は
アーケード商店街すぐ先の
横道を渡ったところにあった。
 

 

賑やかに列(なら)ぶ店先の真裏側に、
こんなもの静かな建物があるとは知らなかった。
 

 

稽古時間より少し早く
稽古場に入ってみたが、
まだ池田さんも、
テツタさんもまだ来ていないようだ。
 

受付ロビーには結構人がいた。
昼の区民センターにはお年寄りも多い。
コロナ御時勢でのマナーだ、
一所に留まり待つことは遠慮したと外をみた
 

 

西日が、そのまま明るく建物を照らす。
そういえば駅からの道のりに
馴染みある風情がソコとカシコにあった。
 

 
この
阿佐ヶ谷のパールセンター街は
渋谷や新宿原宿で遊ばなかった
僕の青春の街だった。
 
懐かしさも手伝い、すこし歩こうと思った。

 

「スタジオはるか」という小さな劇場では
初めてルークという主役をもらった。
小屋入りにパールセンター街を
胸膨らませて歩いた。
 

駅前に戻り中央線の高架下を歩く
こっちにも、劇場があった。
 

懐かしい立ち食い蕎麦屋は駅沿いに
カレーうどんは「ボンカレーの袋」を
開けて、かけていたと当時センパイが言っていた。

 

 

この先に
僕が初めて
舞台に立った劇場がある。
 

 

平成と名付けられた元年は
初めての消費税が導入される、
その直前の頃。

桜は
花を膨らませ
明け染めを待つ

 
バブルもその時期、最高潮に向かってた。
 

線路沿いにあった古い建物、
阿佐ヶ谷スタジオ・アルスノーヴァ。
 

今は別のビルが立っている。

 

17歳だった僕は高校2年の春休みに
アマチュア劇団の公演に参加した。
 

僕のセリフは
ひとこと
 

「わかりました」だけ
 

 

あの
舞台は何もかも新鮮で
楽しかった。

 

クライマックスの手前の登場、
手持ちのコンバットナイフ(ゴム製だった)で
主役を切り付け襲いかかり
もみ合い、すぐ殺られる役だった。
 

 

「稽古は劇場入ったらね」
「えーー!!」
 

稽古が、
無くても平気だった。

 

在学中、演劇部の文化祭公演と
演劇コンクールの予選でよくアドバイスに来ていた
2コ上の卒業生だった先輩に誘われた。
 

新学期まで束の間の春休み。
卒業式で三年生を送り出した
 
翌週まもなく
この公演に参加することにした。
 
在学中に
思い切ったことをしたもんだ。
 

チケット代は取ったが、
もちろん学校には知らせていない

 

記憶に残る
芝居のラストシーンに
出番を終えた
僕の本当の仕事が始まる

 
ここで初めてタバコを
吸わされることになった。
 

と言っても舞台上で、吸ったわけではなかった。
「舞台の裏で、演出効果として、参加した」と、でもいうか。

 

出番を終えた衣装のままの僕は
舞台の裏でタバコに火をつけてもらう。
 

「吹かせ!ふかせ!」

 

暗闇で先輩が小声で
咳(せ)かす
 

舞台正面の幕が両側に開き青いバックサスの明かりに
主人公のシルエットが浮かぶ。
 
 

しかも
リハーサルしてないのでタイミングは、
今、知ったばかり(ヒドイもんだ)
 

訳もわからず先輩から渡された
タバコをふかし煙を
主役の立つ舞台中央に吹きつける。
 

 

舞台の反対袖で先輩が同じことをしている。
 

テレビの芸能ショーでお馴染みの
ドライアイス機のモクモク白いアレ、
自炊のスモークマシーンと言うわけだ。
 

なんと主人公のシルエットに淡い照明効果を足したのだ!

 

効果?そんなの知らない
でも一生懸命、吸っては煙を吐いた。
 

味なんか、分からない。
だだ咳をしないように気を付けた。
 

煙草の霧をまといながら
孤独な主人公は街を去り、そして幕。

 

 
楽しかった。
 

なにより舞台の効果を
自分で作っているのが、嬉しかった
(今思えば劇場消防法に引っかかることしていた)
 

タバコはハタチからだった。

 

未来だけが広がっていた。
伸びやかな想像と
驚きの創造の世界は
 

学校の授業より
学んでいるような気がした、
 

 

劇場アルスノーヴァは
 

隣が洋食屋さんで
本番中にハンバーグ定食を
料理し食器を重ねる音がしていた。
 

劇場の扉をあけると
突然、目の前に螺旋階段があり、
 

2階事務所の小屋主さんは昔
学生運動の活動家さんって聞いて、少し怖かった。
壁には赤い「大入り袋」がたくさん貼ってあり
書類に囲まれた狭い部屋でいつも背中を丸めていた。
 

 
そのとなり楽屋に木製の二段ベットがあり
先輩がその天井に自分の名前をマジックで落書きをしていた。
 

そのスタジオ・アルスノーヴァも今は無い。
十数年前に「はえぎわ」の番外公演で見たのが最後か。
 

 

おっと
稽古の時間だ。
 

本読み稽古

 

急いで
パールセンターの脇道へと向かう。
 

 

畳の部屋にテツタさん、
池田さん、僕の3人で台本読み。
 

池田ヒトシさんの低い声が
室内を大気の微量な粒子を震わせて心地いい。
 

本読み稽古は
セリフだけで人物たちの動作と意味を想像し
 

各々(おのおの)が持ってきた
イメージをそれぞれに当てて
現場で混ぜる。
 

 

そこに演出の吉田テツタさんが指示を入れていく。
 

低い長机を並べて10畳ほどの和室に男が3人。
 

感染対策で
壁を背に互いは距離をとり台本に向かって集中している。
さっき測った体温は平熱。
 

休憩にキンと
寒い風がすり抜ける開いた窓の外をみる。
 

あの向こうは阿佐ヶ谷パール商店街、
日も暮れ、すこし暗くなった中庭を見下ろした。
暖房で部屋は暖かいのだが、
空気の入れ替えは常にしなきゃならない。
 

「呑みませんか」
 

稽古帰り、三人の男たちは
商店街アーケード入り口で
名残り惜しむ。
 

「初稽古」をこのまま解散ではなんか寂しい
近くの脇道に餃子の王将へ。
 

乾杯をすると店員さんが
「注文、これが最後です」
とラストオーダー。
まだ20時前で呑みはじめ、
知ってはいたが、淋しいもんだ。
 

感染拡大の予防策
自粛で、閉店が早い。
 
ハシゴをするにも街全体が
店の明かりを消し看板を仕舞う
昔みたいに終電まで呑めない。
 

 

餃子の皮の歯ごたえ
温かく良くニラ香り
肉にタレが染みて
 

「コロナで、ほとんど呑みに行かなくなったね」
 

なんて話をして
2階は僕たち以外にお客さんは、いなかった。
 

隣は食べ終えた皿や食器が、
そのままになっていた。
 

最後のジョッキを飲み干すと、解散。

 

駅に向かう横断歩道を横切り、
僕はパールセンターの
アーケードを振り返る。
 

「阿佐ヶ谷」は僕が
芝居を始めた街だ。
 

 

高二の春
タバコをふかした初舞台。
 

ハタチで通った商店街通りでは
「スタジオはるか」
初めて主役をもらって
演劇に反対していた親に見せた。
 

 
今回共演する山口雅義さんとも、
「にんじんボーン」の人形劇をやった。
 
 

旅でなくグルメでもなく
知り合いも
いない街なのに

 
観に行ったり
お芝居をしたり
 

同志みたいに馴染んでいる
僕にとっては、芝居の街。
 

 

芝居の磁場に
引き寄せられて
また、ここにきた。

 

ビールの酔い
ほのかに
あったかく
 

初心に、
帰った初稽古。

 

 

 

真っ暗な稽古場と日暮くん

2021‐2‐21 09:18

 

2月の杉並区の稽古場も残り数日となった。
 

3月までの非常事態宣言の影響で
稽古場を彷徨う僕らは
 

ここ阿佐ヶ谷の会議室を稽古に使っている。
あいかわらず来週からの稽古場は、決まらずにいた。
 

稽古は
会議室の蛍光灯を消して
池田ヒトシさんの案内で
僕が古い劇場に入ってくるファーストシーンだ。
 

「ごっこ遊び」
 

演技の根っこは遊び心だ。
芝居は台詞で創られる。
俳優は台本から、言葉を編んで世界を創る。
 

台詞(セリフ)は映画のフィルムのコマ割りのように
並べられた人物たちの青写真だ。
 

演出の吉田テツタさんが
電気を消す指示をした。
 

真っ暗という
シチュエーションの中を演技することで
その不安さ、部屋の声の響き、
動きや言葉ひとひとつが新鮮に、
色づき臨場感を、纏(まと)う。
 

本読みから、立ち稽古へ
 

役者の台詞と身体に、
演出が状況を加えていく。
 

夕闇の窓辺に電気を消された、会議室。
外的刺激に、内側からのイメージを使うのだ。
人、それを想像力という。
 

「暗闇ごっこ」から
人物が世界を生きて、
その役割を掴んでいく。
 

蜷川幸雄さんのところから
若い俳優が何人も育っていったのは、
主役を囲む周りの
卓越した俳優たちが醸(かも)す
 

「リアルな状況」という
「色豊かな生きた書き割り」があったからだ。
 

存分にその世界の空気を呼吸し、
その世界の役として生きて交わり
表現できる環境を整える
 

芝居は、
究極の「ごっこ遊び」だ。
 

いい空気(セリフ)と
芳醇な土地(うまい役者たち)に
生命(才能)が良く育つ。
豊かな若い才能が
羽ばたき巣立っていく。
 

僕らも真剣な「ごっこ」だ
 

と、
 

真っ暗な稽古場の
ガチャっと、会議室の扉があいた。
明るい廊下に
背の高い人影があった。
 

緊張が、ほどける
 

見学に来た日暮玩具くんだ。
「おはようございます」
稽古が止まり、蛍光灯がついた。
マスクをしている。
 

これで役者4人のうちの3人目がそろった。
日暮くんはtumazuki no ishiの役者さんだ。
 

ひょろっとして背が高い。
ぶら下げていた大きなバッグを
壁際に寄せていた長テーブルに乗せた。
 

来週からの稽古参加予定だったが、
早めに稽古の雰囲気と場面の進行具合を
見学しに来た。
 

 

見学者 日暮くん

 

「日暮くん、今日稽古じゃないのにね」とテツタさん。
「見に来ました」
 

活きた空気を早く吸いたいという
意識が働いている。
 

剃髪のせいか袈裟を被(かぶ)せたら
背の高い肌白のお坊さん。
 

ふんわりと包み込むような声が、とても優しげだ。
 

日暮くんの公演は何度も観に行っているが
共演は初めてだ。
 

それにしてもtumazuki no ishiの役者さんは
みんな舞台を降りると、とても親切でやさしい。
 

ところが芝居に登場すると
狂気の一面を垣間見せる、すごい特技がある。
 

演出の寺十吾さんとスエヒロケイスケさんの描く作品世界に
育てられたからだろう、
日常の普通に近所にいそうな人たちの狂気を体現できる。
 

団名になっている
「tumazuki no ishi(つまづきの石)」は
人に罪を犯させないという意味だ。
 

演劇は、狂気の世界を見せ、
観客を浄化させ、
日常の何かを取り戻す。
 

現代の寓話的と言える狂気の芝居を
何度も体験させてもらった。
 

メディアは人を虜にした
過剰な映像的興奮が世に溢れ
虚構を日常にまで
継続させて、
 

快楽を与え続けて
人を狂わせる
 

でも、芝居はいつでも客観だ。
 

演劇的狂気はどこまでいっても
「お芝居」だ。
明かりがつけば、はいそれまでまでよ、だ。
 

そうして
虚構と現実を「劇場」という仕切りで
ハッキリさせて僕らの浄化作用を促進する。
 

「ああー、いいお芝居を観たーー」と
 

そもそも
お芝居は今日人を殺しても
また明日同じシチュエーションで
同じく殺さなくではならない。
 

映像みたいに
記録に焼き付けた永遠の狂気では無いのだ
「再現できて初めて成り立つ」。
 

だからこそ、
 

芝居は、観る者にも「ごっこの効果」がある。
 

 

狂気を観て、救われる。
現代人の「心の深呼吸」にいいのだ。
 

話しが少し逸れた。
 

日暮くんもtumazuki の役者さん達はみんな、
そんな狂気と優しさという二面性を
すでに身にまとっていて
 

立っているだけでも、その人生や想いを
想像してしまう風体がある。
見てるだけで、楽しい。
 

劇場は人間の入った檻を見る動物園だ。
 

「今回の役者さんは、
みんなどっか狂気を孕(はら)んだ人を選びました」
 

演出のテツタさんが、
このヒステリックな感染対策の中
どうにか芝居を演ろうとする心意気も
相当の狂気だ。
 

また電気が消され
暗闇のごっこが始まる。
 

 

「おーい、だれかいますかー」
「どうぞ」
「あはい」
 

今、芝居をするということが、
なんと有難いコトかと切実に感じている。
 

この暗闇で体験する人との対話の交わりは
リモート稽古じゃ絶対ムリだ。
 

自分の部屋の電気を消しても
相手の暗闇の呼吸は伝わらない
存在の厚みに
映像は、適(かな)わない。
 

どれだけ進化しても
僕らの百聞は、一見に過ぎない
 

稽古が終わり、
明かりがついた会議室を片付ける
 

もとのテーブルの配置に戻すのが
区民センターのルールだ。
 

この芝居を板に乗せられるのか。
公演を無事に終わらせられるのか。いや。
 

稽古が終わっても
そんな不安がまとわりつく
 

なにより来週からの稽古場も、
どうにかしなきゃなきゃ。
 

「稽古場が、決まりました。」
テツタさんが、言った。
 

「あくとれ(公演をやる劇場)という話もあったんですが、いやとても高価いので、、」
 

一月二月に決まっていた公演が中止や延期になったりして
偶然、
 

空いたというのだ。
 

「そこを二週間借りられることになりました」と
 

場所は目白にある風姿花伝のスタジオ。
また稽古が続けられる。首がつながった。
 

心の中で
強くガッツポーズをした。

 

 

そして、
新宿に向かう帰りの電車で
今年から、年賀に来たメールを読み返した。
 

写真家の南雲さんから届いた一言だ。
 

「南雲より
キツイか?
キツイな…
キツイ時に出来る、キツイ時にじゃないと出来ない事がある。
お互いに、やってやろうじゃないか?
友よ!
行動せよ!!」

 

 

目頭の奥が、熱く滲んだ。

 

 

新しい稽古場、風景花伝

2021-02-06 12:20

 

 

新しい稽古場は、
 

道路を跨いだ商店街通りを
ただ真っ直ぐに歩いた、そこにある。
 

もうかなり歩いた、そろそろかと思いきや、まだつかない。
スマホのナビでは、この辺りだ。
 

横断歩道を渡ったところで、ひょろりと歩く
共演者の日暮くんがこっちに向かって見えた。
 

「おはようございます」
「劇場この辺だっけ?」
「ああ、多分。」
 

小劇場あるある。道と街に埋もれて、迷う。
愉しい、迷子。
 

一月始めからの緊急事態宣言により
次々と自粛閉鎖する区民センターの稽古場で
参っていた僕らは、
 

なんと偶然、空くことになった劇場の
スタジオを二週間も借りられることになった。
 

三月公演への道が、また繋がった。
 

「多分、反対です。もうすぐですよ」
やっぱり僕は行き過ぎていた。
 

引き返して、見逃していた目印の玩具屋が見えた。
稽古には、まだ早いので外で、待つことにした。
 

目白にある「風姿花伝」という小劇場。
 

一階は玩具屋で
入り口のガラス窓には
プラモデルやウルトラマンのソフビ人形が並び飾られ
 

小綺麗に置いてあり、
どこか昭和の懐かしい香りがする。
 

この細い階段を上がると劇場だ。
おもちゃ屋の上が劇場という面白い建物だ。
 

劇場の掲示板はコロナの影響で
上演ポスターが一枚も貼っていない。
 

この劇場へ芝居を観た来たことがあるので
劇場の灯が消えていることが、特に寂しい。
 

劇場の上階が一般のマンションなので
下北沢の本多劇場を思い出した。
 

 
まるで、小さな本多劇場だ。
 

 

リトル本多劇場

 
 
本多劇場は、知る人ぞ知る昭和演劇の殿堂だ。
 

巨大なマンションの建物に入った劇場で
幾つかの商店も入り
 

一階スペースの殆どを
総合雑貨屋のビレッジ・ヴァンガードが
またぎ、その頭上階にあるのが本多劇場。
300名くらいの中ホール
雑貨とおもちゃ屋というのが、重なる。
&nbsp

ヴィレ・ヴァンで雑貨屋や
書籍などを観て時間をつぶし、
 

芝居をみると、まるでカルチャーで
ポップな時間が送れた。
 

数々の伝説的な劇団や
公演を役者を世に送り出してきた
80年代から演劇の象徴的場所。
 

この風姿花伝が
本多劇場のミニチュア版みたいで、すこし笑える。
 

日暮くんがおもちゃ店前
ガラス棚の隅を覗いていた。

そこには木の棚があり
瀬戸物の皿やグイ呑が置いてあった。
 

「(器とか)好きなんですか」と
僕も箸置きを手にした。
 

日暮くんは、満更でもなさそうに目を細めた。
ん?…古そうな木製表札が立てかけてあった。
 

〇〇セトモノ店

墨字で図太く書かれていた
なるほど、かつてはこのおもちゃ屋は
瀬戸物を商っていたのだ。
 

「へー」と僕は言い
「なんでですかね?」と日暮くん
 

なんでも先代から受け継いだ店(瀬戸もの屋)を改装で
マンションにするとき女優をしている自分の娘が
公演をできるようにと、
 

この劇場兼マンションを建てたのだそうだ。
 

公演をするために娘が実家の劇場に帰る。
なんという親心か。
 

山本正之の歌だ。
父親から娘が女優として立つ舞台に贈った
ラプソディーが流れてきた。
 

瀬戸物屋を継がずに
玩具店にしたのも面白い。

おもちゃ屋は子供だけでなく
親が幼児(おさなご)とも足を運ぶ場所。
 

マンションには人住み、

劇場には人が集い、
親子も引き寄せられて、

 

僕らもこうしてやってに来た。
 

「おもちゃ」といえば日暮くんもだ。

 

その名を日暮玩具(ひぐらしがんぐ)
…という
奇跡の風景だ。
 

自分で考えた芸名だそうだ。
 

夕暮れにポツリとおもちゃを
手にして遊んでいるような情景が
この待合いの時間と重なっている
(手には、ぐい呑だが笑)

 
演技の根っ子は、遊び心。
「劇場は、ひっくり返したおもちゃ箱」
 

かのシェークスピア俳優で
名優ローレンス・オリビエが
子供の頃への郷愁を込めて自伝で語った。
 

おもちゃと遊び心に親心、
そしてリトル本多劇場。
 
この小屋が大好きになった。
 

そんな劇場の地下にある
スタジオで二週間、稽古ができる。
 

「もう空いてるよ」
奥からジャージ姿でメガネのテツタさんが僕達を呼びにきた。
狭い下駄箱の玄関で靴を脱ぎスリッパを借り細い階段を小気味よく降りる。
 

銃を向けられた?

 

 

突然テツタさんが
僕の額に銃口を向け、押し付けようとした!
 

いや、もとい「非接触体温計の測定窓」を僕のおでこに近づけた。
 

ヒピピっ
 

36.5℃ 正常熱。
 
「タッキー、毎日書いといて」
 

スタジオに入ったらまず検温、
日付名前と電話番号を用意された紙に書く。
そしてスプレー消毒液を手にかけて揉む。
 

コロナ禍で
日常となってしまったことに
「昔から言われてきた良いことばっかり習慣」
というのがある。
 

手洗い、うがい、清潔にし、
栄養をとるのも良い睡眠をし免疫力を上げるのも、
今年は風邪も引いてないし僕の健康は万全だ。
 

それにしても
日暮くんは稽古初日にもかかわらず
朗々と長い台詞を稽古場で喋っている。
 

僕の方は、とととっと、
つまづき急カーブ、速度そのまま衝突寸前
覚えているのも出てこないなんてことがある。
台本片手に、そもそも半立ちだ。
 

セリフとは、なんだろう

 

それにしても
役者は膨大なセリフを、
どう覚えているのだろう。
 

暗記の得意な人は簡単にできるだろう。
しかも役者の場合には書くことは
また違う次元の
 
生身でしゃべり同時に身体を
使い覚えたことを表現する。
 

僕はセリフをしゃべるが大好きで
暗記が苦手だ。
 

セリフは、面白い記号だ。
 

セリフは、読まれなければ、
 

空想と発想の絵空ごとだ。
シェイクスピアのハムレットだって
演じなければ、ハムレットは存在しない。
 

台詞とは、なんだろう
何かしらの人間の営みをそこに記す。
 

人間のなしていることが書かれている。
アリストテレスの時代から戯曲に、
 

神が出てきて
動物や樹木や海獣は演じても
会話をしていることで、できている。
 

演劇、芝居は人間の特権だ。
動物は料理をしないように。
料理を振る舞わないように。
 

芝居も、あらゆる生命の中で人間だけが
獲得した一つの特権なのだ。
 

演出のテツタさんは、
役者の出してきたものに対して指示を出していく
 

「タッキーここはさ、全部上から言って」
 

 

個々のインスピレーション

 

読んできた役者達の
イマジネーションや表現は
一人一人の個性だ。
 

誰一人その物語を同じように
読むことなんてないだろう。
 

台本は小説と違い、
役者の心情や表情が
親切に書かれていない。
 

だからこそ
間違っているなんてことは一つもない。
読んできた経験や深み、
反応を役者が演じることで
 

舞台上にもう一つの
「ここではない」
別世界が立ち上がる
 

これまでやってきた
気持ちの癖であり、
感情の得意技であったり、
そんな生命の塊(かたまり)なのだ。
 

演出はそれを一つに束ねる。
 

「池田さん、演り過ぎないで」
「そうそう、抜けたところがいいです」
 

自分の発想からだけでは、僕らは小さなままだ。
演出の言葉が、新たな生命の気づきになる。
 

テツタさんは僕に栄養を与え続けている。
台本から「シバイハ戦ウ」の
田河という記者の種を植え、
物語を育てている。
 

そんなテツタさんが
 

今回の稽古場で変わったなと
思うところがある。
 

「認める」
「待つ」
「褒める」
を徹底していることだ。
 

テツタさんは役者がメインだ、
演出はこのテッピンという
自分の企画だからやっている
 

出会った頃のテツタさんは、
もっと芝居に細かくいろんな指摘と
指示のオンパレードだったような気がする。
 

そのあとテツタさんの子供が産まれて
ちょっと演劇から離れたことがあった。
 

あれから10年以上たつ
子供を育てて、その歩みを、みながら
 

いろんな演出の芝居にも出演して
たくさん俳優は若手や年配の交流、
色々な演出家や作品に稽古場と
舞台を踏んだんだ。
 

子供が産まれてわかることは、
この生命が
あまりに、最初、何もできないことだ。
あまりにも無力ということだ。
ひとりで生きてはいけないということだ。
初めは世話から始まり、色々してあげる
 

そこから、一つできて、二つできて
それが喜びで、それが自分の発見で
 

僕はこの稽古場で、
そんな父でもある親のテツタさんの
面影も見ている、気がする。
 

 

戦って、獲得したもの
戦って、捨てたもの
 

続けて、わかること。
 

 

「芝居を続けながら、生きる」
 

 

生活して子供を育てて、芝居もするなんて、
しかも、それを続けてきたなんて。
 

共演している池田ヒトシさんは
海外映画ドラマの吹き替えなどでも活躍されている。

池田ヒトシさんも演出の吉田テツタさんも家に帰れば、
子供があり父親もしている。
どちらも結婚したり学生になったり大きくなっていて、

一般的に見たら俳優業なんて
遊んで楽しく明るくやっているようでも
同じ役者を生業(なりわい)としてきた僕には、
 

その大変さが、想像に難くない。
 

僕にとってそんな二人は
俳優としても父親としても先輩なのだ。
 

芝居が好きだ。
 

好き、だけじゃ生きてはいけない。
 

でも好きは、
確実に生きる力になる。
 

二人を見ていると、
そんな風に感じるのだ。
 

 

演劇の殿堂、リトル本多で
風姿花伝に、おもちゃ箱。
 

 

稽古中のマスクの着用について

 

 

 

このご時世、
例えば電車の中では必要不可欠なことを
 

必要最小限に小さな声で言葉も少なに伝えること、
なるべく喋らないことは
 

社会人の嗜みとして
身につけるべきものであるが、
 

芝居の台詞は、
如何(どう)だろう、
そうはいかない。
 

マスクをしながら相手を怒鳴りつけ、
嗚咽するような時に
 

大きく声を出して
息を吸おうもんなら
不織布のすでに
 
湿り気を帯びた水分が
繊維の空気を
遮断し、
息吸うマスクは
口と鼻の周りに張り付き
くちびるの邪魔をする。
 

しかも満たされない未酸素状態のまま
 

激しい感情とともに
言葉を吐く、
さらに足らない酸素を
求めマスクのまま、吸えば
 

だんだん相手役への意識が朦朧とし、
稽古初期に
やっと覚えたセリフの判断力は
恐ろしく鈍り、
 

僕の消えかけた単語を
さらに思い出しにくくさせる。
 

マスク芝居とは、
なんと不自由なモノか。
 

そもそも
台本の多くは
マスクを想定しないで描かれている。
当たり前か。
 

 
シェークスピア俳優は
どんな稽古を過ごすのだろう。
あの長セリフ、逆上の感情、葛藤の嗚咽。
 

むしろ、どんなマスクをしているのだろう。
 

演出の吉田テツタさんが
バンダナ風マスクで稽古場に来た。
大判なハンカチを三角折にして
後ろで結ぶ西部劇に出てくる銀行強盗みたいなヤツだ。
 

(テツタさん今日マスク忘れたのかな…)
 

待ちきれずに山口さんが
「てった君これ使ってよ」
と未使用の和柄模様のマスクを渡した。
 

「いやこれ、マスクですう!ランナー用のやつなんです」
 

吸うときにはたくさん空気が吸えて吐くときにマスク効果があるもの。
ちゃんと自分からは排出しにくいモノをつけて来たのだ。
 

それいい!と僕は思ったが、
 

次の日からテツタさんは普通の不織布のマスクになっていた。
やはり吸う空気への無防備にリスクを感じたのだろう。
 

ちなみに僕は、何枚かのマスク用意し湿ったら少し我慢して使い、
新しいもの変えることをしてみた。
でも濡れてすぐに息を吸えなくなるけど、
たいてい我慢して使い続けてしまうのだけど。
 

 

役者4人がそろった

 

二月中旬。
「シバイハ戦ウ」台本の中盤まで
演出の振り移しが完了した。
 

地下スタジオでの稽古も一週間が過ぎ
シーンの出来はまだまだだけど、
稽古の進みが速い。
 

次の週で本番を終えたばかりの
山口雅義さんが合流した。
 

ついに役者四人がそろった。
 

ひたすら芝居の流れ、
目指すべき方向性を芯体に叩き込んで
次々とシーンを作り週の最後で
粗く通し稽古。
 

 

ここでの二週間が、ほんとに長かった。
黙々とシーンと台本を刷り込んだ
 

四人だけの出演者、よくやるなぁと厳しい現場を
乗り越えてきた精鋭なんだと思った。
 

役者同士、
セリフ以外はお互いあまり話さない、
コロナ禍というのもあるだろうが
空き時間も少しあいさつする程度だ。
 

僕なんか休憩中も
芝居の集中の邪魔をしないように、気にしたりしてる。
そんな中、今回の最年長の池田さんだけは、
 

なんか面白い話をしている。
スタジオの中央で大抵はテツタさんか
演出助手の松岡さんが聞き役に
 

僕たちも壁際に置いた自分の荷物の前で
なんとなく聞いている。
 

でも、一寸(ちょっと)ずつ役者たちは歩み寄る。
 

「今日寒かったですね」や
「そのジャケットあったかそうですね」
 

その些細な一言、三言、
がとても大切だと思っている。
 

僕の場合だが
その人の底根の安心感みたいなものが
欲しいのかもしれない。
 

稽古場は、ある意味、まる裸だ。
 

稽古着を着ていても、
人は普段、人前で服を全部脱がない。
 

よく言われることだけど、
芝居は心を丸裸にして
晒(さら)す作業でもある。
 

稽古場とはいえ
「誰にでも見せたい」という人は
別だろうけど

普通の感覚なら信頼する人に
その繊細な自分の柔らかい部分を
晒す努力をしたい。
 

そして
大抵の場合、
その繊細な素(もと)の部分は人が見て
面白いものじゃないだろう
 

(本物のヘンタイでなければ…)
 

多くは「魅せモノ」として昇華されていない。
それを稽古は丹念に絞り出し、練り上げ
戯曲と役者と演出で、マコトとウソを調理し
 

人間の
「出汁(ダシ)モノ」にして本番を迎える。
 

マスク姿の稽古場は
コロナ禍のたしなみ
 

相手役の語気の熱と
視線と素振りだけを
頼りにして
 

まるで目ヂカラの仮面劇だ。
 

これは
僕らの芝居と、日常に
何を、もたらすのだろう
 

覆われ隠した口元に
人前で喋るなという禁策に
 

「語られない言葉」はどこにいくのだろう。
 

でも
それはコロナ禍でも
そうでなかった
世の中でも、同じ事だ。
 

 

「語られない」「語られたかった」ことを
現すのが、僕らの仕事の一つだ。
 

そうだ。
マスク姿で物言う術(すべ)こそ
僕らに必要な能力かもしれない。

 

 

 

二月下旬「屋根裏の稽古場より」

2021-3-20 17:52

 

 

窓を開けると
目の前の桜の枝々に
公園を見下ろせる
 

遠くかすむ街が並び
家々の屋根が西日に眩しかった
 

地下スタジオとは、違う空気。
 

二月下旬の小春日和。
 

稽古場を目白を風姿花伝のスタジオから
中野の劇場MOMOの最上階にある稽古場にきた。
 

本番をする
「スタジオあくとれ」は駅の反対側にある
もうすぐそこだ。
 

ついに僕たちは
中野という戦地に、たどり着いた。
 

さながらこの屋根裏の稽古場は
城を睨む高台の駐屯地といったところか。
 

見えないけど。
 

夕方メインだった稽古が、昼から開始になり
僕たちは本番をやる中野に拠点を移した。
 

もう緊急事態宣言で
苦労していた稽古場ジプシーも終わり
ここで一週間稽古をして、劇場入りだ。
 

花は、まだ咲かぬ
枝は、つぼんだままだ。
 

劇場の最上階
屋根裏の稽古場
 

ここは隠し部屋か
まるでガストン・ルルーの
オペラ座の怪人の棲み家だ。
 

休憩中にカーテンが揺れて
夕日向の風が入ってくる
 

(MOMO劇場の裏が公園だったとは、知らなかった)
 

他の団体が本番を演っている最中だ。
この階下はbonbonという小劇場。
うっすらと音楽が聞こえている。
 

そういえばさっき、
 

この稽古場に入る階段がちょうど
劇場入り口で受付の人に
 

「本番中なので、静かに入ってください」
と言われた直後
 

「あれタキさん?」
 

登りかけて振り返ると
受付の人に声をかけられた。
 

「久しぶり?ここ出演(で)てんの」
 

渡されたチラシを見ると彼の名はなかった。
 

5年前に共演した事のある彼は
少女達の小品公演の手伝いをしていた。
 

役者の時より雰囲気の灰汁が取れて、
とても印象が変わっていた。
スッキリしたやさしい顔つきになっていた。
サポート好きな彼のことだ、
生き甲斐を見つけたのだろう。
僕もチラシを渡した。
 

「来月、駅向こうの小屋で芝居をするんだ」
 

この地区は
三つの小劇場がある。
この建物の中ホールのMOMOと
2階の小スペースのbonbon、
向かいの中野ポケット
(このポケットで僕はジャンゴをやった)
 

その上階まで登ると僕らが
今借りている稽古場だ。
 

偶然
隣向かいの劇場ザ・ポケットでは日暮玩具くんの
劇団 tumazuki no ishiの寺十吾さんが
来週から本番というチラシがボードに貼ってあった。
 

(この稽古と入れ違いか)
 

 

こんなふうに
役者はよく劇場で人に出会う。
「シバイハ戦ウ」のメンバーもそうした仲間だ。
 

 

「演」が「縁」を呼ぶ。
 

コロナ換気の窓を
閉め、稽古を再開した。

 

僕は、2場に苦戦していた。
動きの多いシーンで両袖を行き来して
裏をまわり舞台の右と左から出たり入ったりするのだ。
 

台本には「上手(かみて)を観る、
下手(しもて)にはける」と上手下手また上手のオンパレード。
 

ちなみに上手とは客席から見て
右側の事で下手はその逆、
 

しかも演者側になると
「右左を逆に呼ぶ」という、
いわく付きの舞台用語だ。
 

台本を読んでいると、
どっちがどっちだかワカラナくなってくる、
しかも繰り返しの多い言葉が多いので、
 

僕は今どこをやっているのかも
わからなくなるという状態だ。
 

さらに
後半は怒涛の長台詞(ながぜり)で
掛け合いが待っている。
 

息を切らして、
酸素不足のマスク芝居だ。
 

僕が苦労しているので
稽古場に来てスタンバイしている
山口雅義さんの3場までシーンに
なかなか辿りつかない。

ちなみにその前日は
ここまでの稽古に全部を使っていた。
 

しかも今日は
演出助手の松岡さんがいないから
台詞の補助ができない環境だ。
 

 
稽古場にいるのは5人。
舞台の僕ら3人、
客席側には演出をしている吉田テツタさんと
スタンバイ中の山口さんだ。
 

山口さんのプロンプに、救われる

 

ふたたび言い、よどむ
僕の台詞に突然、
 

別の明確で大きな声、
ハッキリとした声量が稽古場に響いた。
 

「ちゃんちゃんてね。でもね、」
「現実のナマの僕らが現在の、」
 

山口さんが
僕にセリフを飛ばしてプロンプをくれたのだ。
 

恥ずかしさと
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 

プロンプとは
出演している役者のセリフの補助をする事である。
 

よく僕ら稽古の現場では
演助か若手役者がやることが多い。
昔、若手の研究生などがプロンプをやると
 

「声が聞こえない」
「それじゃわからない」
 

などと演出や先輩俳優などに怒鳴られたりした。
それだけ舞台の勉強になることでもあった。
 

専門のプロンプターがいた大昔の大劇場舞台では
本番中にも袖にスタンバイして
売れっ子俳優にセリフを教えていたという。
 

 

セリフが出ないことは
役者にとって
苦しいことは云うまでもない。
 

真っ暗闇な洞窟を
無闇に走りまわる
恥ずかしさと
情けなさに
 

僕を導く光の
 

しるべのように
 

明快なプロンプ台詞が
一筋の弓矢のように、響き届く。
 

しかも山口さんは、
しばらく稽古を続けると
台本を見ながら
 

「タッキー、言葉がわからないのと、
セリフの続き、どっちを言うのがいい?」
 

何が問題なのかを
意識して言ってくれている。
 

セリフを絶対覚えてやる。
心からそう思う。
 

そんな山口雅義さんは
「役者モテ」な人だ。
もちろん僕の造語だ
 

「お金持ち」というのは
お金を持っている人。
 

所有しているお金が多いことを言うが
「お金モテ」は、お金にモテている人。
僕は「お金持ち」より「お金モテ」になりたいと、
 

 

だから山口さんは「役者モテ」だ。
 

山口さんは、つねに舞台に出演している印象がある。

なんせ芝居が上手で場を動かせ、間が活き、
なんとも言えない安定感と期待感が在るんだ、
いろんな団体から声が掛かる。
 

稽古場でも、着実でストイックだ。
一緒に現場で創っていきたい役者さんだ。
そして彼が出演すると作品が良くなる。
 

山口さんからのプロンプは、
申し訳ない以上に有難く、頭が上がらない。
 

確実な技術だけではない、わきまえて、
出し惜しみしないから「役者モテ」なのだ。
 

共演者でありながら、
また「ファン度」が上がる。
 

そして
ようやっと
2場のラストまでいき、

 

 

ジョンソン(山口さん役)が扉を大きく叩き入ってくる
3場の登場まで、行き着いたところで、食事休憩となった。
 

 

手作りのお弁当

 

 

お腹が、空いた。
 

他のメンバーみんなは、外へ食べに行ったり、
買って食べているようだ。
 

僕は夕食にお弁当を作ってきた。
 

「シバイハ戦ウ」の稽古は、やたらお腹が空く
 

おにぎり一つとサラダや惣菜なんかで軽くすまして足らず、
お腹がいっぱいだと逆に頭がぼーっとしてしまう。
 

稽古後半になると、
ガス欠になってしまい
体力もそうだが集中力も続かない
 

うまくパワーを回わすためにも
22時までの稽古を乗り越えるためにも

 

シッカリしたお弁当を
自分で作って
持ってくることにした。
 

嬉しいことに
屋根裏の稽古場には冷蔵庫と
電子レンジがあるじゃないか!
(今までの稽古場には
無かったし、使わない手はない!)
 

あったかい
ご飯が食べられるのは
なんとも助かる
 

 

弁当もおかずの献立を
考えるのが面倒なので
 

前の晩に醤油とニンニク生姜で
つけ置きしていた鳥モモ肉を焼いて、
ご飯に乗せ
蒸したブロッコリーを添える
 

他に野菜スープも持っていった。
冷蔵庫から出して電子レンジでチンすると
 

湯気に食欲そそる
焼き鳥丼をガッツリ食べ、
喉ごし朗(ほが)らかに
トマトのスープで身体を温める。
 

腹を満たして
生き返る。
 

さあ、後半。

 

屋根裏からの準備万端
ラストの
修羅を乗り越えよう。
 

 

そして
 

ここを間借りした
屋根裏部屋で
昼夜を乗り切り
 

3月「劇場あくとれ」小屋入りすれば
本番までは、劇場で稽古ができる。
 
もう少し。
 

東京都がロックダウンの要請さえしなければ、
本番を迎えられる。
 

どうなる?
 

一年先延ばした
2020東京オリンピックを控え、
ロックダウンなんて
選択しないしないでくれ。
 

 

もちろん
メンバー内で
健康的に過ごすこと。
栄養と睡眠。
 

 

 

 

 

2月末日「PCR検査という儀式」

2021-03-25 22:42
 

 

2月も末日、自宅にPCR検査キッドが届いた。
 

「芝居は、罪なのか」
 

それは
 

メルカリの小型の段ボール箱の厳重に
仰々しく包まれていたが、
 

開けると小学生の時に見た
学研の知育玩具キッドみたいに
 

拍子抜けした検査回収具が、
一式揃って入っていた。
 

不謹慎にも
「免罪符」という言葉が浮かんだ。
 

ルネサンスも末期の頃、
神からの罪を許される護魔符を
教会が売ったら、バズって
大儲けしちゃって
 

 

「そんなもんで商売すんじゃねー」と
 

 

ルターの宗教改革のキッカケになったアレだ。
 

回収するは
テレビCMでも見た名前の会社だ。
このキッドも、よく売れてる。
知り合いの芝居仲間も、コレだった。
 

開けるのが怖かった。
 

検査結果で役者が一人でも陽性だったら
「公演は中止」という恐ろしさもあり
届いてしばらく居間に置いたまま。
 

 

「必ず、明日までに切手を
貼ってポストに入れてください」

 

 

と制作の三國屋さんから
グループLINEで念を押されていた。
締め切りじゃ、しょうがない。
 

やっと、開けた。

説明書を読み、水色のおもちゃみたいな
小さな漏斗に唇を当て唾を
目盛りのラインまで
プラスチックの小さな瓶にいれる。
 

唾、そんなに出せない。

 

そこに別の容器から保存液を足し混ぜ
シッカリ蓋を閉め、今日の採取日を書き込み、
 

自分の名前とバーコードの印刷されたシールを貼り、
漏れた場合用の吸水シートを巻き、
 

そのまた周りの断衝材のプチプチでさらに保護し、
同封されていたメルカリの搬送用び組み立て段ボールみたいな
 

小箱を作り、唾液の入った厳重な小包みを入れ、
渋谷の宛先シールを貼り、出来あがった。
 

簡単、便利に準備ができた。
 

その物々しさったら、
冷ややかに笑えた。
 

 

「ツバで、罪が許される(かもしれない)」か
 

 

コロナで起きた本性こそ
「罪」の始まりなのかもしれない。
 

僕らは
時間や労働や証券を
売り買いをして
通貨紙幣を得なければ
生活できなくなって
しまったようだ。
 

より売れるものを作り
たくさんの人を食わせ
救うこと。
マネーを得ることは
この世の正義だ。
 

 

ワクチンも検査キッドも
巨万の富が動いてる。

 

 

それで世界は回ってる。
 

お金よりも利息の発明の方が
悪魔の発明に見える。
 

 

「罪」で「快楽」だ。
 

 
そもそも
今の資本第一主義経済は、
ユダヤ人の金貸しの
「利息の発明」が発端だ。
 

神にそむき
楽園を追われた、
罪深き人間たちへ
 

「罰としての労働」
というユダヤ教の考え方に
 

貨幣の「利息」という
「労働(罰)からの解放という発明」が
人類を発展させた。
 

「利息」という「期待への妄想」が
人類を新たなステージに引き上げた。
 

アレよアレよと(お金に罪はないけれど)
 

これが世にハマり拡大急成長して、
大航海時代へと発展し植民地を広げれば加速した
繁栄と貧富の差を持たらし、
恐慌をやらかし大戦争もやってのけ
 

 

資本経済へ繁栄と更なる
マクロの進化と謳歌をしたけど
リーマンショックに泡とハジけて、
 

さらに虚をつくコロナ恐怖で
世界経済はもっと閉塞しているという
末世に至った。
 

 

「利息の妄想だけが膨れ上がり膨張した、空っぽの理想へ」と。
 

 

そもそも「罪」という言葉が
西洋の考え方っぽくてキナ臭いのは
 

人間がもともと罪を背負い、
神から罰を受けて生かされているという、
罰当たりな僕には
今だピンときていないところに

 

端を発しているからだ。

 

だいたい稲作文化には
 

「働かずに生きるため」の利息なんて嗜好はない。

 

実りを願い作り収穫を祝う、
「土地と共に生きる」だけだ。
 

芝居は、罪なのだろうか
 

まるで「通貨」儀礼だ。
 

PCR検査の結果がコロナ陽性じゃないから
公演が許される免罪符を
僕たちは買っているのか。

 

しかも検査法が
ツバを吐いて審判を問う、とは
なんとも皮肉で背徳的だ。
 

罪と罰(ドストエフスキー)
ツバとバツ(回文)
 

それしても
生きていくための人間の条件が
こうも色々と翻弄されていくことに、
 

すでに絶滅した
氷河期の恐竜よりは
マシだろうと、思うしかない
 

僕らは
新しいウィルスに
対抗して
生き残れるのか。
 

僕は
芝居を、続けられるのか。
 

311の震災もあった。あれから10年目も、
さらにコロリとコロナで世の中が変わっていくのを
目の当たりにしているのは確かなことだ。
 

僕らはそんな中で
更にたくましく、
したたかに生きるしかない。
 

切手220円分、
梱包された検査キッドに貼って
赤い郵便ポストに入れて
 

 

稽古に、向かう。
 

 

あとは検査の結果を待つ。
 

 

 

 

3月1日「劇場入り」

2021-03-20 17:52
 

 

2021年3月1日
「スタジオあくとれ」に、小屋入り。
 

狭い階段を降りると、
何もない素舞台と客席があった。

 

この劇場に入って
池田ヒトシさんの芝居が
みるみる変わっていくのを
目の当たりにした。
 

いい演技は、瞳の奥に灯が宿る。
 

間近に、そんな顔の表情を見ながら
自分が役者として稽古できることは
ずいぶん久しぶりだ。
 

活き活きとしたツヤのある芝居を
僕より年配の俳優さんが、
額に汗しながら僕自身に演技を当ててくれている。
 

だから僕も誠意いっぱい返そうとする。
 

セリフだけではない。
 

なんだろう彼自身が
この劇場全体に染み込んでいる空気を吸い込んで、
吐き出しているような。
毛穴という毛穴にスポンジの如く
 

カラダ全部に吸収して
その質量を肉厚に
増大させているような
迫力がある。
 

この劇場がそうさせるのか。
水を得た魚か。荒野の獅子か。

 

その訳を
池田さんが本人が語った
若い頃のエピソードから
知ることになる

 

第二の緊急事態宣言が解除される来週。
3月12日に
「シバイハ戦ウ」の幕が開(あ)く。
 

去年の12月に、
この劇場でみんなと初めて顔合わせをした。
 

「今まで見た芝居で、一番面白かったのは何?」
 

という質問を、みんなが照れ臭そうに答えていた。
劇場が、なんだかとても懐かしい。
 

 

前日の稽古後、今日の小屋入りのために、
テツタさんと駆けつけてくれた
奥さんのリエさんが
本番で使う役者たちの荷物を
 

自転車に括り付け
MOMOの稽古場から駅の反対側にある
 

「スタジオあくとれ」まで
運んできてくれていたのだ。
 

ちなみに「小屋入り」とは
本番に向けて劇場に入ったことをいう舞台用語。
「小屋入りした」という。
 

「おはようございます」
「よろしくお願いします」
 

もう演出の吉田テツタさんが客席にいた。
舞台監督の横山くんも動いてる。
 

素舞台にテーブルや小道具が置かれ、
ソワソワと準備が始まっている。
メンバーが揃うと劇場で
稽古開始だ。
 

「うわー狭いなぁー」
 

という田河の第一声が劇場に響くと
そこはもう物語の世界だ。
 

すかさず演出の吉田テツタさんの
「もうちょっと、蔑(さげす)んだ感じで」と
指示が入る。
 

実は今までの稽古場が地下のスペースや
屋根裏部屋だったのもあり
 

「狭い」という言葉を、
この劇場の広さに
「感歎」して言ってしまったようだ。
 

そりゃそうだ、今までの稽古より広くて
小屋入りの嬉しさが、素直にでた。
 

所変われば、台詞も変わる。
 

役者は稽古場から舞台という環境に、
芝居を成(な)らせていく。
 

大ホールで音声マイクを
つけながらの芝居と
今回のような小劇場じゃ
 

リアルも変わってくる。
そして、なにも日常の自然風だけが
舞台上のリアルではない。
 

役者は見つけようとする。
『その空間で一番伝わる瞬間』を
 

よく舞台出身の役者さんがテレビに出ると
芝居が大袈裟に見えるなんてことを
言われていた時代があった。
 

また「半沢直樹」みたいなテレビドラマ作品は
舞台の役者さんでなければ
あの説得力は出なかっただろう。
 

自然な日常を普段のまま
生きている人たちが
同じ真似をしても
滑稽すぎるほど埋まらない。
 

生(ライブ)の大きな箱で
鍛えられたのが
生の肉体だけではなく、
舞台という非日常の多くを
 

劇場と
観客とともに過ごした
 

「場の説得力」こそ、
日常をはるかに超える迫力と魅力を
役者に与えるからだ。
 

そして劇場には、
何かが宿っている。
 

役者には
鬼金な舞台がある。
小劇場は、特にそうだ。
 

下北沢ザスズナリ、
駅前やOFF OFF、
本多劇場、紀伊國屋ホール、
駒場のアゴラ。
 

もう締めてしまったけど、
新宿シアタートップス、両国ベニサン・ピットもあった。
 

最近なら王子小劇場、新宿space雑遊 だろうか。
立ったことはないが日暮里d倉庫なんかもそうだろう。
 

僕なら下北沢「劇」小劇場だ。
 

あくとれで稽古を始めて、
池田ヒトシさんの芝居が
みるみる変わっていくのは、何故だろう。
 

そこに立つだけで何か空間を
成立させてしまうような
「場の説得力」を引き上げてしまう場所。
 

 

これは役者だけではない
スポーツ選手や将棋の棋士だって
勝負の相性にいいスタジアムや
会場があるのと同じだ。
 
 

そういえば
池田さんの芝居を初めて見たのが
この、あくとれだ。
僕はその時、観客だった。
 

 

翻訳ものでこの「シバイハ戦ウ」の作演でもある
吉田テツタさんも出ていたのが縁で、
 

芝居を見たあとの呑みで、
気さくなおじさんだなと思った。
 

 

「いつか芝居をやろう」
 

 

なんて言葉は、観劇あとの
役者同志の飲み会でよくある話。
 
 

それからもう20年近くなる。
いつかが、いつかで今、
ここに。
 

「ここで芝居をやってさ」
 

昔、池田さんがあくとれでの公演中、
昼本番の後に劇場前の寿司屋で役者たちと食べた。
その夜が最悪だった。寿司に当たって、

 

みんなが青い顔しながら
一生懸命セリフを言い、出番を終えた役者が、
 

変わる返し、真っ直ぐに袖のトイレへ駆け込んだ。
 

「その、目をひん剥きながらの、
本番の顔ったら ガハハ」
 

今回「シバイハ戦ウ」での
池田さんは、劇場の支配人の役だ。
あくとれの思い出の話しが役柄と重なって、

 

「これが小劇場なんです」
 

と台詞が聞こえてくる。

 

 

池田さんがまだ20代の頃、
登場するシーンの稽古で
 

出るたんびに
「それ駄目」
「違う」と
 
 

演出からダメ出しを喰らい。
ワケがわからなくなって
 

あくとれから飛び出し、
近くの公園でずっと時間を潰した、
若手だった昔。
 

人は歴史を、その身体に内包している。
役者はそれを舞台で開放している。
 

この劇場の前、料理教室が入っていて、
自分たちで改装して、スタジオにした。
 

 
重いキッチンのシンクや台所を、
階段から運び出して、
楽屋への壁を仲間と劇場を手作りした。
 

(僕の中野島稽古場に似ている)
「らさらば、中野島稽古場」より
 

台本に書かれていない
セリフで言ってはない
けれど
 

 

支配人が
今はコロナできなくなった演劇への
諦めにも似た憂いを
 

小劇場を知らない
田河に語りかけてくれている。
 

目の奥の、灯とともに。
 

そして田河は記者の役だ。
僕はその言葉を一言も漏らさず、
 

聞き、調べ体感し
その面白さを、
読者に伝えなければならない
 

(このエッセイもそんな役者の語り草だ)
 

役者たちは
「秘密の言葉」で
交信している。
 

演技という、
台詞と所作の隙間にまとう
沈黙の言葉を。
 

それが「場の説得力」となって
迫力の緊迫感を作り出している。
 

映像では、
はみ出してしまうほどの
ライブ感。
 

 

池田さんの台詞が
轟音の中に響く
 

 

「これが、小劇場なんですッ!」
 

 

もう忘れられた劇場の
小屋主にしか、

 

見えなくなった。
 

 

 
……………………………………………………
ところが
 

そんな僕らに、
非常事態宣言の延長のニュースが入ってくる。
8日の解除が、二週間も伸ばされるというのだ。
 

 

僕らは、静まった。あーそーかー。
と、こぼした。
 

12日からの本番をまたいだ延長が
客足に影響のないことは、ありえない。
 

予約を頂いている
来ると決めていたお客さまにも。
 

それにも増して都からは
20時までの営業自粛要請。
 

僕らの芝居は
2時間弱の長さ。
 

19時30分からの公演を早めるべきか。
チラシの日時は変えられない。
 

どうするべきか。
 

 

芝居は戦う。
 

 

3月12日「最終話 そして幕が開く」

2021-04-08 16:13
 

ドラえもんに「石ころ帽子」というひみつ導具がある。
それを被ると誰からも見えなくなり、
そこに居るのに気にされなくなるのだ。
 

「どこにでもある石ころ」みたいに。

 

 

2021.3.12.
初日の幕が開こうとしている。
 

今や劇場には準備の活気と
座席から感じる
お客さんの熱気や密度は
 

一つの舞台に向かって、
たどり着いた
 

この劇場にいるという、
その迫力があった。
 

本番直前に
解除間近だった緊急事態宣言は
公演差し迫った3月に入って
さらに二週間も延長してしまった。
 

僕らは開演時間の変更を考えた。
 

刷って公開してしているチラシと
最速のネット情報とお客さんの足と、
 

ただでさえ
ゴチャゴチャしている情報に
僕らが巻き込んではならない。
 

だから変えないで、
そのまま続行することにした。
 

劇場に来て頂く
お客様のために
制作の三國谷さんが自前で、
 

消毒液散布ポンプ
足踏み式の手指用エタノール
消毒スプレースタンド
顔モニター付き電子体温計を、
揃えてくれた。
 

いまだコロナ禍の隣席に
人が居るということは、
それぞれが責任を
持たなくてはいけないと
いうことだ。
 

劇場に来るとは
覚悟のいることだ。
 

ドラえもんに「石ころ帽子」という、ひみつ導具がある。
それを被ると誰からも見えなくなり、
そこに居るのに気にされなくなるのだ。
 

「どこにでもある石ころ」みたいに。
 

ネット配信が「石ころ帽子」のようなチケットだと
僕には感じられた。
「座席に在るのが石ころ」ならば、
感染することは絶対ない
(石ころだなんて失礼極まりないことは、わかっている)
 

 

そして、人がたくさん集まれば劇場に来なくたって、
お金が動くだろう。
 

 

世の中の仕組みはそれでいいし、
そうじゃないと生きられないと
僕たちは信じ込んでいる。
 

 

劇場だって50人しか入れられない客席よりも
1000人が同時に観てくれた方が
いいに決まっている。数字が動く、数値が上がる。
影響力が違う。なんの?どっちの?
 

いや
ネット配信の批判ではない。
それは方法の話だ。
 

双方否定のために同義を
違(たが)えてはならない。
 

そうだ。僕たちの目的は、
同じはずじゃないか?
 

戦いは乗り越えて、
その足跡を
後の世代に受け継ぐことだ。
 

それぞれが
同じ空気を
呼吸している
かけがえのない
一人ひとりの存在として
 

来られなかった、
たくさんの顔が在る。
呼吸がある。
 

いけない理由もたくさんある。
僕たちは一人、ひとりだ。
 

だから、
この時間がこの劇場が「かけがえ」がないのだ。
 

だからこそ
定員より半分以下に
減らした座席の
さらに隣を空けて、
おのおのマスクをしていただき、
 

会話も控えて
ソーシャルディスタンスの観劇は
申し訳ない気持ちとともに、
 

もう感謝しかなかった。
 

楽屋の鏡前で
テツタさんが観劇前の口上を
切っているのが、聞こえる。
 

お客様さんのざわめきと、笑い声。
 

 

もうすぐ幕が開く。
 

 

 

「たっきー、そこは『え。マジかよ』って、感じで」
 

 

 

稽古のとき
どうしても言えないセリフがあった。
 

「そこは『うそだろー』みたいな、
肩の力が抜けて、
 

思いもしない声が出てしまうように」
と演出の吉田テツタさん。
 

 

『え⁉︎』
 

 

その一言が僕には表現できなかった。
返し稽古は、その場で出るのに
通して芝居のシーンが来ると
違うトーンになってしまうのだ。
 

 

僕の演る田河は、
自分の身体を動かせない
絶妙絶命の状態にも関わらず
 

信じられない人体実験を迫られる。
自分の死を予感せざるおえない。
 

まさか?俺が?うそだろ、まじで?
 

という心からの声だ。
 

 

この舞台の照明の場当たり、
飾り付けをしているときスタンバイされた小
道具の機材に懐かしい劇場の名前を見つけた。
 

 
「狛江スタジオBEフリー」
 

 

見せつけられる
想いの瞬間、僕はわかった。
田河と僕のちがいを。
 

それはもう無いスタジオで
舞台監督の横山くんの備品だった。
「狛江」の部分は
切り取られて無くなっていたけれど、
 

確かにその名だ。
 

芝居を始めたばかりの20代、
訳もわからず、とにかく演劇に
若い感情をぶつけていた頃、
 

 

阿佐ヶ谷のアルスノーヴァの
次の劇場として学生劇団で、
よく使っていた小屋の名前だった。
 

僕はそこでも
白いタイツ姿の天使の格好をして、
笑いのシーンをしていた。
 

そして田河にも、
天使になる、場面がある
田河は一度、死ぬ。
 

でも天使の白タイツで
立ち上がる。
 

コロナとか、
なんたらディスタンスの
問題ではない
 

田河は、あきらめていない。と。
 

捨てない、場をやり過ごさない
見えるのが「虚無」であっても
傷跡であろうとする
 

 

希望を持って行動する
恐怖と畏れで抑えつけられ
身動き取れない状況でも
死を突きつけられても
 

その直前まで
 

20代の「スタジオB eフリー」の頃
芝居で喰っていけるのか
将来がどうなのか
そんなことは、わからない
未来をあきらめていなかった。
 

事情?そんなことは関係ない。
 

だって命は、
今を生きている
 

僕の田河は
あきらめていた。
 

だから、
言えなかった。
 

もう駄目だ、
こんなことをやっても無駄だ。
なんの意味があるんだ。
全ては無意味だ、と。
 

でも演出のテツタさんと
描かれていた田河は、
 

諦めてないなかった。
戦い続けている。
 

だから生き返る。
 

誰もが言えなかった言葉。
行きたかった未来。
語りたかった言葉を
 

活きるのが僕らの役割だ。
 

 

「スタジオBEフリー」
 

 

まだ舞台を続けていたんだ。
有難う。諦めないで続けよう。
周りには、たくさんの人達が
支えてくれた
 

 

役者のみんな、それだけじゃない
 

テツタさんの奥さんのリエさんは、
劇場にも来てくれ雨の本番も黒い服で
裏に付いて心強かった。
 

精密なMicroドローン模型を
作ってくれた中学生のライトくん、
 

 

ラスト屋台崩しの大仕掛けも
大変だった舞台監督の横山くん、
 

音響だけでなくモデル銃とエアガン所作と
嗜み全てを教えてくれた根岸くん、
 

本物そっくりな蛍光灯と
劇的な照明舞台を作った
阿部さんと操る佐藤さん、
 

 

年末にチラシも大きな幕も描いてくれて
僕のナイフの受け渡しとかも、演出助手松岡さん、
 

制作の三國谷さん、みんな有難う。
ほかにも他にも。
 

 

本当にたくさんの人たちだ
そこに、劇場で迎えた人たちが加わる。
 

「石ころ帽子」を脱ぎ捨てよう。
 

 

生きること
ただ、誠実に活きること。
 

 

ネット配信は、
どこまでやっても完璧な映像作品だ。
 

記録の問題ではない、
これは「記憶」の問題だ。
 

ともに生きていること。
 

同じ場所で
同じ空気を
「呼吸した記憶」のことだ。
 

普段、僕たちは頭の中で生きて
騙し絵の中でも生きられる
 

でもほんとうの命はどうだろう。
魂は震えているか
 

僕には本番が
「一つの生き物」のように思える。
 

「劇場」という巨大な生きた塊が
同時に、蠢(うごめ)き、
笑い泣き怒り、
歓喜歓声をあげる。
 

マスク向こうの本性が
同時に叫ぶ。
 

今や茶の間に居ながら
ネットの中継技術がチャットやアバターの進化で
「リアル」な数字と文字と配信に、
化けたことだろう。
 

 

僕たちは「劇場」という
生き物になり
 

 

本番を乗り越えて、
生き還る。
 

 

シバイハ、マダ、
戦ッテ、イルカ?
 

 

 

「おーい、だれかいますかー?」
「どうぞ」
「あはい」

 

 

 

 

(完)
 

 

 

最後までありがとうございました。
本番は無事終了しました。
 

後日談ですが、田河が最後に天使姿なるシーンで、
その天使の輪っかを袖の舞台監督に投げつけるシーンがあって、
 

千秋楽のお客様からの笑いが
とてもスカッとした暖かい感じで、
 

「ああ、田河が救われたんだ」と思えました。
 

「何にも、あきらめていない田河」を、
演じられたかもしれない。
 

そんなことを思いました。涼

 

 

 

 

 

 
 

今は9月だ。
もしかしたら収まっているかもしれない
という希望があった。
 

 

「内容が内容だけに
情勢はどんどん変わるだろうし
どうですかね・・・? 遅すぎますかね…?」
 

 

タイミングは僕らのできる時だ
もっとも世の中が戻っているなら
 

それこそ、この芝居を
沢山の人たちに観てもらいたい
 

そして 第二稿の台本が来た。
僕は「何があっても演ります」と答えた。
 

「あと、題名を変えようと思ってます。
【芝居は戦う】にしようと思ってます。」
 

 

 

いいじゃないか
 

 

シバイハ、タタカウ
 

戦いは
乗り超えて
 

その足跡を
次の世界に
 

つなぐためだ。
 

 
こうして
僕たちの
「シバイハ戦ウ」が、
スタートした。
 

 

 

12月「顔合わせ」

 

「今まで観た芝居で、一番は何?」
 

という質問を吉田テツタさんがした。
 

 

役者仲間に会うのが嬉しいのは
コロナで仲間の芝居を観られなくなったからだ。
 

自粛もあり、
中止もあり、
だから劇場に来る事こそ久しぶりだった。
 

12月初旬「シバイハ戦ウ」の顔合わせがあった。
 

場所は三ヶ月後に僕たちが公演の本番を行う
「スタジオあくとれ」という劇場だ。
 

古いマンションの地下にある劇場で、
もう何十年もこの場所で
芝居が行われて続けてきた
 

芝居の空気が染みついた小屋。
田河が劇場を体験するのに、ふさわしい場所。
 

中野駅から線路沿いの商店街を歩きカフェベローチェの手前、
見過ごしてしまうような看板、
劇場の門がまえと言うよりは地下駐車場への入り口みたいだ。
 

簡単なアルミ戸が開いていた。
細くて急な階段を降りると、
寒々とした鉄筋コンクリートの空間がある。
 

夕闇の中野駅は急ぐ帰宅の人たちに活気があった。
 

この秋GoToキャンペーンなどが
全国的に行われたのもあったのだろう。
僕もGoToイートを使って地元のハンバーガー屋さんで
挽肉ビーフバーガーを1度だけ食べに行たっけ。
 

街に人が巡り始めたのかもしれないと思った。
 

だがつい先日
そのGoToのキャンペーンも一斉に取り辞めになったが。
 

舞台の上に長テーブルを5つ並べて
半円にソーシャルディスタンスの感覚を
とり全員マスクをしながら始まった。
 

まるで同窓会のような雰囲気だった。

 

 

全員が、そろった。
 

 
つい先日、
本番を終えてPCR検査のことを話している山口雅義さん、
中止になった公演を悔しそうに語る池田ヒトシさん、
tumazuki no ishiはしばらく観ていないが
初めて共演する日暮玩具さん、
 

演出助手をしてくれる松岡マリコさんも途中から加わり、
 

今回の作・演出、プロデュースしている
テッピンの吉田テツタさんはみんなのテーブルに
持ってきたミカンを紙袋から一個づつ忙しく置いている。
 

劇場の設備を確認していた
舞台監督の横山朋也さんも控えていた。
 

一通りの説明が行われ、自己紹介があり、
 

出来炊てホヤホヤの決定稿を読んだ。
これからこのメンバーで、芝居を創る。
 

 

「今まで観た芝居で、一番は何?」

 

 

なんだろう。
一人一人の話を聞きながら考えていた。
 

 

演劇、小劇場、芝居。
なんだか分からないけど興奮した。
前のめりに舞台にかぶり突いた。
 

 

大きな音響、役者の怒鳴り声、
芝居の筋なんか覚えていない。
劇場という空間で
人が非占めき合う熱気と興奮の体験。
 

僕もたくさん観た。
 

面白いと思われるもの
噂、感想を聞いたもの
ネットなんてない時代とくに
手当たり次第、足を運んだ
 

たくさんの芝居、公演。
 

街中の小さい劇場や突き当たりのスタジオ、
駅から歩いた大きなホール、神社のテント、
野外劇、画廊や古民家、
マンションの一室で行われたものなんてのもある。
 

 

メンバーたちの
語る顔は歓喜していて、
誰もが
人生の何かを変えていた。
 

そして芝居を続けている。
 

「タッキーは何?」
ついに呼ばれた。
 

「僕のは、
 

劇場で見た芝居じゃないんですけど、」

 

 

こんなところで劇をするのか?
 

 

プロの作品ではなく在学中の演劇部員が5人くらいでやっていた
高校一年の時に観た演劇部の新歓(新入生歓迎)公演だ。
しかも観たのはちゃんとした劇場じゃない。
 

 

体育館で幕の閉まった
素舞台で見た芝居だった。

 

でも僕は、感動した。
芝居はどこでもできるんだ。
こんなに楽しませることができるんだ。と。
 

高校一年生の
入学まもない頃だ。
 

部員の人から
廊下で渡された手書きのチラシには
「くりえいた〜ず」と題されていた。
 

開演時間と場所は
それを頼りに
体育館まできた。
 

放課後の体育館は
バスケ部やバレー部が練習している
「ソォーレッ!」とか「ヤーっ!」という掛け声している
 
この部活見学ではないだけに、遠慮しながら
 

ボールを打つ音や部員たちの行き交うコートの壁際を
仕切りのネットを跨(また)いで
邪魔をしないように抜けて
 

校歌のボードがかかる
白い鉄扉の向こうにやっと入った。
 
入り口には受付をやっている女の生徒。
 

不安な感じ、チラシを何度も見返したが、
ここしかない。
しかも、もうすぐ開演時間だ。
 

緞帳(どんちょう)の閉まった
体育館の内側舞台へと上がると
同じ制服の生徒が数人座ってる
 

「こんなところで劇をするのか?」
 

信じられないまま照明はよく見る蛍光灯。
平舞台に客席のように折り畳みの椅子が並べてあり
 

「今年の新入生ですね」と
 

案内されるまま空いている一番前に座った。
 

僕の思っていた「お芝居」とは違っていた。
幕の内側にはセットも飾られていない、
むき出しの体育館で板間だ。
 

舞台?中央に、
階段みたいな白い木箱だけが置いてあった。
 

蛍光灯が消えた。
 

閉じられた大幕の袖は
こぼれた光りの隙間から
ボールの跳ねる音と掛け声で揺れた
 

うっすらと
四人の先輩が並んでいるのが気配と影でわかる。
 

明るくなると大きな音で洋楽が流れ
土着的なリズムのダンス。物語が始まった。
 

小気味よいセリフのやりとり、ドタバタだ。
笑った。もうなんか、掴まれた。
 

僕とあまり変わらぬ身近な人たちが、
弾むように活きていて
すぐそこにいて
とてもかっこ良く見えた。
 

体育館の平土間に、突然ステージが現れた。
外の音なんか気にならなかった
 

物語は、クリスマス前夜。
 

配送の職場に子供が迷い込んできて引っ掻き回す。
実はそこは
クリスマスプレゼントの配送営業所で
普通のバイト員に見えたのは
 

サンタクロース達だったのだ。
みんな赤い服を着ていない。
街でよく見る普段着だ。
 

サンタは白髭のおじいさんでは
なく普通の若い人たちがやっていたのだ。
 

イブの夜にだけ集まり日本の子供たちに
プレゼントを渡し存在を知られないまま
喜ぶ姿を想像して働いている。
 

学校という
日常の中で「くりえいた〜ず」は
まさに多くの人の目に触れず、
しかも熱く上演された。

 
体育館の幕の内
蛍光灯が照明で
木の箱が置かれただけの
素舞台で。
&nbsp。

劇が終わると、
また部活動の声が聞こえてきた。
ほんとに面白かった。
 

舞台でくり広げられた
情熱に僕も参加したかった。
 

このメンバーになりたかった。
 

昭和の小劇場ブームが
円熟を迎えつつあった1987年。
バブルに向かって大いに
さらに盛り上がっていた頃
 

小さな劇団が、次々と大きなホールに進出し、
驚くべきイベントを巻き起こし、
それを観ている学生世代「高校演劇」が
盛り上がっていったそんな時期
 

そんなことも全く知らない
僕は新生活に胸躍らせ
新しいことを始めたかった。
 

 

数日後、
演劇部への入部を決めた。
 

 

僕の芝居へのスタートは
ここだった。
 

 

何もない空間に、ひとたび踏み出すと
普段の日常から
何か違う世界に吸い込まれ熱を帯び
終われば再び日常に帰っていく。
 
 

観終わった後に自分の歩くテンポが
興奮していて胸の奥に揺れる
この熱い火のおかげで
明日も学校に行ける。
 

 
学生服で
いろんな芝居を
観たあとも
そう思った。
 
放課後、劇場へ足を
運ぶのが、
めちゃくちゃ楽しみだった。
 

 

話すと、心の中が、
あたたかくなった。

 

2020年12月上旬あくとれで行われた
「シバイハ戦ウ」の顔合わせは、
来年2月からの稽古予定を渡され、
 

ひとまず解散ということになった。
 

「公演をする3月には、
この状態が良くなってくる」と信じて。
 

 

ところが
年を明けて関東の1日あたり
コロナ感染者数が2000人を越える日も出てきた、
 

1月8日には再び非常事態宣言が始まる。
 

芝居を簡単に
演ることも観ることも
できないという時期。
 

コロナという通過儀礼を
芝居が試されているからだろう。
 

今でしか感じられないこと。
共有が、しにくいという状況。
 

全ての人々で
なくていい
 

劇場へ足を運んでくれた
人たちに渡したかった。

 

永遠に、
思える一瞬を
創るために。

 

 
 

 

1月「稽古場が、なくなった⁈」

 

 

借りていた2月8日までの
稽古場が突然、無くなった。
 

まだ稽古も、始まっていないのに。

 

中野区の施設で稽古をする予定だったが、
このまま宣言が伸びたとしても
 

そのあと2月に入って
7日以降の現在予約している部屋も
いつ使えなくなるか分からなくなった。
 

その先
はたして幕は開くのか?
それさえもわからない
 

とりあえず8日までの稽古場をどうするか?
 

僕らは
夜のみを中野の区民センターを
転々と借りることにしていたが
 

2月8日まで20時以降の
外出自粛にともない
夜間貸しが短縮され、
 
使えたとしても四時間が
半分の二時間になってしまった。
 

 

しかも借り代は据え置きと、
コスパも悪い。

 
そして
そのあとの稽古場が、ない。
 

ゆっくりと漠然と何かが進んでいる感じ。
茫然(ぼうぜん)とした
 

青い空にゆったりと巨大な雲が覆い被さって、
その影が大地を包み込み始めているような
 
 

それは若い頃に読んだ演劇本の
ロシア革命前夜の
劇場や稽古場の雰囲気にも似ていた
 

 

 

「劇場で自由に公演がうてない」
「あの台本のセリフが検閲で削除された」
 

 

初めて「演出家」という発明をした
スタニラフスキーの稽古場でも
話されただろう。
 

 
学生時代から20代の前後
芝居を学ぶには
本を読むしかなかった。
 

スタニスラフスキーの自伝や、
メイエルホリドの伝記にも
ワフターンゴフの演出本にあった
風景と重なった
 

 
でも
遠く聞こえてくるその知らせにも
当時の芝居人たちは
それぞれの稽古場や
劇場に向かっていた。
 

「(2月の)8日まではリモート
稽古になるかもしれません。
どう操作するかわかりませんが」
 

リモート稽古の功罪

 

「リモート稽古」とは、
この頃芝居作りで流行りだした

 

直接に人に会わずに自宅などから
通信端末をつかってテレビ電話で
稽古をすることだ。

 

 

「おお最先端ですね!」と僕

 

去年の劇団公演で自宅から
スマホでのZOOMを使った
リモート稽古を経験していたので、
それもアリだ。
 

 

「リモートか、、」
 

並ぶLINEの吹き出しに
年配の池田ヒトシさんが
懸念した。

 
 

僕みたいに劇団で芝居を創るなら、
相手役は、知った仲間だ。
 

本番を何度も踏んでいるし
みんなの作り方が想像できる。
 

何年もやってきた作風やイメージが
感覚的に染み付いている。
 

 

でも台本は「イメージ」に過ぎない。
役者同士が直接、交(まじ)わらなければ
本当の交流はできない。
 

「初めての座組み」と「新作」だ。
 

 

リモート稽古の危うさは、
演った気になるところだ。
熟達の芝居人
池田さんは知っているのだろう。
 

 

「演った気に、なる」

 

スマホによる
SNSと配信映像テクノロジーは
いとも容易(たやす)く
人と人とを近づけた。
 

しかし、
どれだけ配信スピードが速くなっても
どれだけ映像が鮮明になっても
 

目の前にいる相手自身に
絶対直接、触れていない。

 

手触り、体温、息遣い、表情、匂い。
 

 

それらは鮮やかなモニターの映像や
チャットで流れる言葉の配列からは感じられない。
 

確かなのは
漠然とした、妄想だ。
 

 

「バーチャルな存在」
 

この状況は、知らずに僕らを
「不感症」にしている

 

いつから僕らは
頭ん中だけで
処理して満足するようになったんだ。
 

マスクで表情や会話を遮り
対話は、スマホ画面の吹き出しか
 

 
薄いセロファンを
かさねた記憶だけが、
僕らの思い出になっていくのか。
 

 
なんだか、寂しかった。
 

世界は変わった。
 

この感染症こそ
ネット進化繁栄を後押しした
最大の事件だ。
 

「演った気に、なる」

 

「バーチャルな不感」は
毒なのか麻薬なのか、
僕らの進化なのか

 

「杉並区が、まだ施設を貸している!」
と池田さんの知らせがあった。
 

「おさえてください!
タッキー、空いていますか、日暮くんも」とテツタさん。
「もう一度みなさんの、20日までの予定を教えてください」
 

リモートにならずに済んだ。

 

ロシアと僕らの小劇場

 

 

 
嬉しかった。
息がつながった思いだ。
 
まだ、稽古もしてないのに。
 

 

かつて芝居が、
劇場を謳歌していた時代に
近づく革命の足音だ。
 

 

先の見えない方へ
向かっていく
不安な情勢にも
 

 

チェーホフの新作に、
どれだけ人々が喜んだか。
 
そんな風景を思いだす。
 

 

 
革命からのち
スタニフラフスキーが求めた演技術と
その方法は、大陸を渡り
 

 

アメリカの映画演技メソッドに生かされ
役者のリアリズム演技を流行らせた
スタニラフスキーに対立したメイエルホリドの方法論は
60年代の前衛演劇で確かな礎となり、
 
のちにベケット「ゴドーを待ちながら」など名作を産む
 
 
ジャンルをかえて、ダンスの世界は
コンテンポラリーの脈流にも
影響を与えた
 

 
そして
ワフターンゴフのリアルと象徴と
アマチュアイズムの手法は
 

僕らの小劇場の芝居に
つながっている
 

 

今、世界が変わっていき
僕たちは小劇場という
 

古いOSのまま
翻弄されて

 

時代の胎動を
感じながら、
稽古が始まる

 

 

1月「稽古初日」

2021-2-16 12:06

僕が初めて舞台に立った街

 

 
「阿佐ヶ谷駅」
 

駅前の広場が、とても懐かしかった。
僕が、初めて舞台に立った街だ。
 

 

「シバイハ戦ウ」稽古初日。
 

杉並区の稽古場は
アーケード商店街すぐ先の
横道を渡ったところにあった。
 

 

賑やかに列(なら)ぶ店先の真裏側に、
こんなもの静かな建物があるとは知らなかった。
 

 

稽古時間より少し早く
稽古場に入ってみたが、
まだ池田さんも、
テツタさんもまだ来ていないようだ。
 

受付ロビーには結構人がいた。
昼の区民センターにはお年寄りも多い。
コロナ御時勢でのマナーだ、
一所に留まり待つことは遠慮したと外をみた
 

 

西日が、そのまま明るく建物を照らす。
そういえば駅からの道のりに
馴染みある風情がソコとカシコにあった。
 

 
この
阿佐ヶ谷のパールセンター街は
渋谷や新宿原宿で遊ばなかった
僕の青春の街だった。
 
懐かしさも手伝い、すこし歩こうと思った。

 

「スタジオはるか」という小さな劇場では
初めてルークという主役をもらった。
小屋入りにパールセンター街を
胸膨らませて歩いた。
 

駅前に戻り中央線の高架下を歩く
こっちにも、劇場があった。
 

懐かしい立ち食い蕎麦屋は駅沿いに
カレーうどんは「ボンカレーの袋」を
開けて、かけていたと当時センパイが言っていた。

 

 

この先に
僕が初めて
舞台に立った劇場がある。
 

 

平成と名付けられた元年は
初めての消費税が導入される、
その直前の頃。

桜は
花を膨らませ
明け染めを待つ

 
バブルもその時期、最高潮に向かってた。
 

線路沿いにあった古い建物、
阿佐ヶ谷スタジオ・アルスノーヴァ。
 

今は別のビルが立っている。

 

17歳だった僕は高校2年の春休みに
アマチュア劇団の公演に参加した。
 

僕のセリフは
ひとこと
 

「わかりました」だけ
 

 

あの
舞台は何もかも新鮮で
楽しかった。

 

クライマックスの手前の登場、
手持ちのコンバットナイフ(ゴム製だった)で
主役を切り付け襲いかかり
もみ合い、すぐ殺られる役だった。
 

 

「稽古は劇場入ったらね」
「えーー!!」
 

稽古が、
無くても平気だった。

 

在学中、演劇部の文化祭公演と
演劇コンクールの予選でよくアドバイスに来ていた
2コ上の卒業生だった先輩に誘われた。
 

新学期まで束の間の春休み。
卒業式で三年生を送り出した
 
翌週まもなく
この公演に参加することにした。
 
在学中に
思い切ったことをしたもんだ。
 

チケット代は取ったが、
もちろん学校には知らせていない

 

記憶に残る
芝居のラストシーンに
出番を終えた
僕の本当の仕事が始まる

 
ここで初めてタバコを
吸わされることになった。
 

と言っても舞台上で、吸ったわけではなかった。
「舞台の裏で、演出効果として、参加した」と、でもいうか。

 

出番を終えた衣装のままの僕は
舞台の裏でタバコに火をつけてもらう。
 

「吹かせ!ふかせ!」

 

暗闇で先輩が小声で
咳(せ)かす
 

舞台正面の幕が両側に開き青いバックサスの明かりに
主人公のシルエットが浮かぶ。
 
 

しかも
リハーサルしてないのでタイミングは、
今、知ったばかり(ヒドイもんだ)
 

訳もわからず先輩から渡された
タバコをふかし煙を
主役の立つ舞台中央に吹きつける。
 

 

舞台の反対袖で先輩が同じことをしている。
 

テレビの芸能ショーでお馴染みの
ドライアイス機のモクモク白いアレ、
自炊のスモークマシーンと言うわけだ。
 

なんと主人公のシルエットに淡い照明効果を足したのだ!

 

効果?そんなの知らない
でも一生懸命、吸っては煙を吐いた。
 

味なんか、分からない。
だだ咳をしないように気を付けた。
 

煙草の霧をまといながら
孤独な主人公は街を去り、そして幕。

 

 
楽しかった。
 

なにより舞台の効果を
自分で作っているのが、嬉しかった
(今思えば劇場消防法に引っかかることしていた)
 

タバコはハタチからだった。

 

未来だけが広がっていた。
伸びやかな想像と
驚きの創造の世界は
 

学校の授業より
学んでいるような気がした、
 

 

劇場アルスノーヴァは
 

隣が洋食屋さんで
本番中にハンバーグ定食を
料理し食器を重ねる音がしていた。
 

劇場の扉をあけると
突然、目の前に螺旋階段があり、
 

2階事務所の小屋主さんは昔
学生運動の活動家さんって聞いて、少し怖かった。
壁には赤い「大入り袋」がたくさん貼ってあり
書類に囲まれた狭い部屋でいつも背中を丸めていた。
 

 
そのとなり楽屋に木製の二段ベットがあり
先輩がその天井に自分の名前をマジックで落書きをしていた。
 

そのスタジオ・アルスノーヴァも今は無い。
十数年前に「はえぎわ」の番外公演で見たのが最後か。
 

 

おっと
稽古の時間だ。
 

本読み稽古

 

急いで
パールセンターの脇道へと向かう。
 

 

畳の部屋にテツタさん、
池田さん、僕の3人で台本読み。
 

池田ヒトシさんの低い声が
室内を大気の微量な粒子を震わせて心地いい。
 

本読み稽古は
セリフだけで人物たちの動作と意味を想像し
 

各々(おのおの)が持ってきた
イメージをそれぞれに当てて
現場で混ぜる。
 

 

そこに演出の吉田テツタさんが指示を入れていく。
 

低い長机を並べて10畳ほどの和室に男が3人。
 

感染対策で
壁を背に互いは距離をとり台本に向かって集中している。
さっき測った体温は平熱。
 

休憩にキンと
寒い風がすり抜ける開いた窓の外をみる。
 

あの向こうは阿佐ヶ谷パール商店街、
日も暮れ、すこし暗くなった中庭を見下ろした。
暖房で部屋は暖かいのだが、
空気の入れ替えは常にしなきゃならない。
 

「呑みませんか」
 

稽古帰り、三人の男たちは
商店街アーケード入り口で
名残り惜しむ。
 

「初稽古」をこのまま解散ではなんか寂しい
近くの脇道に餃子の王将へ。
 

乾杯をすると店員さんが
「注文、これが最後です」
とラストオーダー。
まだ20時前で呑みはじめ、
知ってはいたが、淋しいもんだ。
 

感染拡大の予防策
自粛で、閉店が早い。
 
ハシゴをするにも街全体が
店の明かりを消し看板を仕舞う
昔みたいに終電まで呑めない。
 

 

餃子の皮の歯ごたえ
温かく良くニラ香り
肉にタレが染みて
 

「コロナで、ほとんど呑みに行かなくなったね」
 

なんて話をして
2階は僕たち以外にお客さんは、いなかった。
 

隣は食べ終えた皿や食器が、
そのままになっていた。
 

最後のジョッキを飲み干すと、解散。

 

駅に向かう横断歩道を横切り、
僕はパールセンターの
アーケードを振り返る。
 

「阿佐ヶ谷」は僕が
芝居を始めた街だ。
 

 

高二の春
タバコをふかした初舞台。
 

ハタチで通った商店街通りでは
「スタジオはるか」
初めて主役をもらって
演劇に反対していた親に見せた。
 

 
今回共演する山口雅義さんとも、
「にんじんボーン」の人形劇をやった。
 
 

旅でなくグルメでもなく
知り合いも
いない街なのに

 
観に行ったり
お芝居をしたり
 

同志みたいに馴染んでいる
僕にとっては、芝居の街。
 

 

芝居の磁場に
引き寄せられて
また、ここにきた。

 

ビールの酔い
ほのかに
あったかく
 

初心に、
帰った初稽古。

 

 

 

真っ暗な稽古場と日暮くん

2021‐2‐21 09:18

 

2月の杉並区の稽古場も残り数日となった。
 

3月までの非常事態宣言の影響で
稽古場を彷徨う僕らは
 

ここ阿佐ヶ谷の会議室を稽古に使っている。
あいかわらず来週からの稽古場は、決まらずにいた。
 

稽古は
会議室の蛍光灯を消して
池田ヒトシさんの案内で
僕が古い劇場に入ってくるファーストシーンだ。
 

「ごっこ遊び」
 

演技の根っこは遊び心だ。
芝居は台詞で創られる。
俳優は台本から、言葉を編んで世界を創る。
 

台詞(セリフ)は映画のフィルムのコマ割りのように
並べられた人物たちの青写真だ。
 

演出の吉田テツタさんが
電気を消す指示をした。
 

真っ暗という
シチュエーションの中を演技することで
その不安さ、部屋の声の響き、
動きや言葉ひとひとつが新鮮に、
色づき臨場感を、纏(まと)う。
 

本読みから、立ち稽古へ
 

役者の台詞と身体に、
演出が状況を加えていく。
 

夕闇の窓辺に電気を消された、会議室。
外的刺激に、内側からのイメージを使うのだ。
人、それを想像力という。
 

「暗闇ごっこ」から
人物が世界を生きて、
その役割を掴んでいく。
 

蜷川幸雄さんのところから
若い俳優が何人も育っていったのは、
主役を囲む周りの
卓越した俳優たちが醸(かも)す
 

「リアルな状況」という
「色豊かな生きた書き割り」があったからだ。
 

存分にその世界の空気を呼吸し、
その世界の役として生きて交わり
表現できる環境を整える
 

芝居は、
究極の「ごっこ遊び」だ。
 

いい空気(セリフ)と
芳醇な土地(うまい役者たち)に
生命(才能)が良く育つ。
豊かな若い才能が
羽ばたき巣立っていく。
 

僕らも真剣な「ごっこ」だ
 

と、
 

真っ暗な稽古場の
ガチャっと、会議室の扉があいた。
明るい廊下に
背の高い人影があった。
 

緊張が、ほどける
 

見学に来た日暮玩具くんだ。
「おはようございます」
稽古が止まり、蛍光灯がついた。
マスクをしている。
 

これで役者4人のうちの3人目がそろった。
日暮くんはtumazuki no ishiの役者さんだ。
 

ひょろっとして背が高い。
ぶら下げていた大きなバッグを
壁際に寄せていた長テーブルに乗せた。
 

来週からの稽古参加予定だったが、
早めに稽古の雰囲気と場面の進行具合を
見学しに来た。
 

 

見学者 日暮くん

 

「日暮くん、今日稽古じゃないのにね」とテツタさん。
「見に来ました」
 

活きた空気を早く吸いたいという
意識が働いている。
 

剃髪のせいか袈裟を被(かぶ)せたら
背の高い肌白のお坊さん。
 

ふんわりと包み込むような声が、とても優しげだ。
 

日暮くんの公演は何度も観に行っているが
共演は初めてだ。
 

それにしてもtumazuki no ishiの役者さんは
みんな舞台を降りると、とても親切でやさしい。
 

ところが芝居に登場すると
狂気の一面を垣間見せる、すごい特技がある。
 

演出の寺十吾さんとスエヒロケイスケさんの描く作品世界に
育てられたからだろう、
日常の普通に近所にいそうな人たちの狂気を体現できる。
 

団名になっている
「tumazuki no ishi(つまづきの石)」は
人に罪を犯させないという意味だ。
 

演劇は、狂気の世界を見せ、
観客を浄化させ、
日常の何かを取り戻す。
 

現代の寓話的と言える狂気の芝居を
何度も体験させてもらった。
 

メディアは人を虜にした
過剰な映像的興奮が世に溢れ
虚構を日常にまで
継続させて、
 

快楽を与え続けて
人を狂わせる
 

でも、芝居はいつでも客観だ。
 

演劇的狂気はどこまでいっても
「お芝居」だ。
明かりがつけば、はいそれまでまでよ、だ。
 

そうして
虚構と現実を「劇場」という仕切りで
ハッキリさせて僕らの浄化作用を促進する。
 

「ああー、いいお芝居を観たーー」と
 

そもそも
お芝居は今日人を殺しても
また明日同じシチュエーションで
同じく殺さなくではならない。
 

映像みたいに
記録に焼き付けた永遠の狂気では無いのだ
「再現できて初めて成り立つ」。
 

だからこそ、
 

芝居は、観る者にも「ごっこの効果」がある。
 

 

狂気を観て、救われる。
現代人の「心の深呼吸」にいいのだ。
 

話しが少し逸れた。
 

日暮くんもtumazuki の役者さん達はみんな、
そんな狂気と優しさという二面性を
すでに身にまとっていて
 

立っているだけでも、その人生や想いを
想像してしまう風体がある。
見てるだけで、楽しい。
 

劇場は人間の入った檻を見る動物園だ。
 

「今回の役者さんは、
みんなどっか狂気を孕(はら)んだ人を選びました」
 

演出のテツタさんが、
このヒステリックな感染対策の中
どうにか芝居を演ろうとする心意気も
相当の狂気だ。
 

また電気が消され
暗闇のごっこが始まる。
 

 

「おーい、だれかいますかー」
「どうぞ」
「あはい」
 

今、芝居をするということが、
なんと有難いコトかと切実に感じている。
 

この暗闇で体験する人との対話の交わりは
リモート稽古じゃ絶対ムリだ。
 

自分の部屋の電気を消しても
相手の暗闇の呼吸は伝わらない
存在の厚みに
映像は、適(かな)わない。
 

どれだけ進化しても
僕らの百聞は、一見に過ぎない
 

稽古が終わり、
明かりがついた会議室を片付ける
 

もとのテーブルの配置に戻すのが
区民センターのルールだ。
 

この芝居を板に乗せられるのか。
公演を無事に終わらせられるのか。いや。
 

稽古が終わっても
そんな不安がまとわりつく
 

なにより来週からの稽古場も、
どうにかしなきゃなきゃ。
 

「稽古場が、決まりました。」
テツタさんが、言った。
 

「あくとれ(公演をやる劇場)という話もあったんですが、いやとても高価いので、、」
 

一月二月に決まっていた公演が中止や延期になったりして
偶然、
 

空いたというのだ。
 

「そこを二週間借りられることになりました」と
 

場所は目白にある風姿花伝のスタジオ。
また稽古が続けられる。首がつながった。
 

心の中で
強くガッツポーズをした。

 

 

そして、
新宿に向かう帰りの電車で
今年から、年賀に来たメールを読み返した。
 

写真家の南雲さんから届いた一言だ。
 

「南雲より
キツイか?
キツイな…
キツイ時に出来る、キツイ時にじゃないと出来ない事がある。
お互いに、やってやろうじゃないか?
友よ!
行動せよ!!」

 

 

目頭の奥が、熱く滲んだ。

 

 

新しい稽古場、風景花伝

2021-02-06 12:20

 

 

新しい稽古場は、
 

道路を跨いだ商店街通りを
ただ真っ直ぐに歩いた、そこにある。
 

もうかなり歩いた、そろそろかと思いきや、まだつかない。
スマホのナビでは、この辺りだ。
 

横断歩道を渡ったところで、ひょろりと歩く
共演者の日暮くんがこっちに向かって見えた。
 

「おはようございます」
「劇場この辺だっけ?」
「ああ、多分。」
 

小劇場あるある。道と街に埋もれて、迷う。
愉しい、迷子。
 

一月始めからの緊急事態宣言により
次々と自粛閉鎖する区民センターの稽古場で
参っていた僕らは、
 

なんと偶然、空くことになった劇場の
スタジオを二週間も借りられることになった。
 

三月公演への道が、また繋がった。
 

「多分、反対です。もうすぐですよ」
やっぱり僕は行き過ぎていた。
 

引き返して、見逃していた目印の玩具屋が見えた。
稽古には、まだ早いので外で、待つことにした。
 

目白にある「風姿花伝」という小劇場。
 

一階は玩具屋で
入り口のガラス窓には
プラモデルやウルトラマンのソフビ人形が並び飾られ
 

小綺麗に置いてあり、
どこか昭和の懐かしい香りがする。
 

この細い階段を上がると劇場だ。
おもちゃ屋の上が劇場という面白い建物だ。
 

劇場の掲示板はコロナの影響で
上演ポスターが一枚も貼っていない。
 

この劇場へ芝居を観た来たことがあるので
劇場の灯が消えていることが、特に寂しい。
 

劇場の上階が一般のマンションなので
下北沢の本多劇場を思い出した。
 

 
まるで、小さな本多劇場だ。
 

 

リトル本多劇場

 
 
本多劇場は、知る人ぞ知る昭和演劇の殿堂だ。
 

巨大なマンションの建物に入った劇場で
幾つかの商店も入り
 

一階スペースの殆どを
総合雑貨屋のビレッジ・ヴァンガードが
またぎ、その頭上階にあるのが本多劇場。
300名くらいの中ホール
雑貨とおもちゃ屋というのが、重なる。
&nbsp

ヴィレ・ヴァンで雑貨屋や
書籍などを観て時間をつぶし、
 

芝居をみると、まるでカルチャーで
ポップな時間が送れた。
 

数々の伝説的な劇団や
公演を役者を世に送り出してきた
80年代から演劇の象徴的場所。
 

この風姿花伝が
本多劇場のミニチュア版みたいで、すこし笑える。
 

日暮くんがおもちゃ店前
ガラス棚の隅を覗いていた。

そこには木の棚があり
瀬戸物の皿やグイ呑が置いてあった。
 

「(器とか)好きなんですか」と
僕も箸置きを手にした。
 

日暮くんは、満更でもなさそうに目を細めた。
ん?…古そうな木製表札が立てかけてあった。
 

〇〇セトモノ店

墨字で図太く書かれていた
なるほど、かつてはこのおもちゃ屋は
瀬戸物を商っていたのだ。
 

「へー」と僕は言い
「なんでですかね?」と日暮くん
 

なんでも先代から受け継いだ店(瀬戸もの屋)を改装で
マンションにするとき女優をしている自分の娘が
公演をできるようにと、
 

この劇場兼マンションを建てたのだそうだ。
 

公演をするために娘が実家の劇場に帰る。
なんという親心か。
 

山本正之の歌だ。
父親から娘が女優として立つ舞台に贈った
ラプソディーが流れてきた。
 

瀬戸物屋を継がずに
玩具店にしたのも面白い。

おもちゃ屋は子供だけでなく
親が幼児(おさなご)とも足を運ぶ場所。
 

マンションには人住み、

劇場には人が集い、
親子も引き寄せられて、

 

僕らもこうしてやってに来た。
 

「おもちゃ」といえば日暮くんもだ。

 

その名を日暮玩具(ひぐらしがんぐ)
…という
奇跡の風景だ。
 

自分で考えた芸名だそうだ。
 

夕暮れにポツリとおもちゃを
手にして遊んでいるような情景が
この待合いの時間と重なっている
(手には、ぐい呑だが笑)

 
演技の根っ子は、遊び心。
「劇場は、ひっくり返したおもちゃ箱」
 

かのシェークスピア俳優で
名優ローレンス・オリビエが
子供の頃への郷愁を込めて自伝で語った。
 

おもちゃと遊び心に親心、
そしてリトル本多劇場。
 
この小屋が大好きになった。
 

そんな劇場の地下にある
スタジオで二週間、稽古ができる。
 

「もう空いてるよ」
奥からジャージ姿でメガネのテツタさんが僕達を呼びにきた。
狭い下駄箱の玄関で靴を脱ぎスリッパを借り細い階段を小気味よく降りる。
 

銃を向けられた?

 

 

突然テツタさんが
僕の額に銃口を向け、押し付けようとした!
 

いや、もとい「非接触体温計の測定窓」を僕のおでこに近づけた。
 

ヒピピっ
 

36.5℃ 正常熱。
 
「タッキー、毎日書いといて」
 

スタジオに入ったらまず検温、
日付名前と電話番号を用意された紙に書く。
そしてスプレー消毒液を手にかけて揉む。
 

コロナ禍で
日常となってしまったことに
「昔から言われてきた良いことばっかり習慣」
というのがある。
 

手洗い、うがい、清潔にし、
栄養をとるのも良い睡眠をし免疫力を上げるのも、
今年は風邪も引いてないし僕の健康は万全だ。
 

それにしても
日暮くんは稽古初日にもかかわらず
朗々と長い台詞を稽古場で喋っている。
 

僕の方は、とととっと、
つまづき急カーブ、速度そのまま衝突寸前
覚えているのも出てこないなんてことがある。
台本片手に、そもそも半立ちだ。
 

セリフとは、なんだろう

 

それにしても
役者は膨大なセリフを、
どう覚えているのだろう。
 

暗記の得意な人は簡単にできるだろう。
しかも役者の場合には書くことは
また違う次元の
 
生身でしゃべり同時に身体を
使い覚えたことを表現する。
 

僕はセリフをしゃべるが大好きで
暗記が苦手だ。
 

セリフは、面白い記号だ。
 

セリフは、読まれなければ、
 

空想と発想の絵空ごとだ。
シェイクスピアのハムレットだって
演じなければ、ハムレットは存在しない。
 

台詞とは、なんだろう
何かしらの人間の営みをそこに記す。
 

人間のなしていることが書かれている。
アリストテレスの時代から戯曲に、
 

神が出てきて
動物や樹木や海獣は演じても
会話をしていることで、できている。
 

演劇、芝居は人間の特権だ。
動物は料理をしないように。
料理を振る舞わないように。
 

芝居も、あらゆる生命の中で人間だけが
獲得した一つの特権なのだ。
 

演出のテツタさんは、
役者の出してきたものに対して指示を出していく
 

「タッキーここはさ、全部上から言って」
 

 

個々のインスピレーション

 

読んできた役者達の
イマジネーションや表現は
一人一人の個性だ。
 

誰一人その物語を同じように
読むことなんてないだろう。
 

台本は小説と違い、
役者の心情や表情が
親切に書かれていない。
 

だからこそ
間違っているなんてことは一つもない。
読んできた経験や深み、
反応を役者が演じることで
 

舞台上にもう一つの
「ここではない」
別世界が立ち上がる
 

これまでやってきた
気持ちの癖であり、
感情の得意技であったり、
そんな生命の塊(かたまり)なのだ。
 

演出はそれを一つに束ねる。
 

「池田さん、演り過ぎないで」
「そうそう、抜けたところがいいです」
 

自分の発想からだけでは、僕らは小さなままだ。
演出の言葉が、新たな生命の気づきになる。
 

テツタさんは僕に栄養を与え続けている。
台本から「シバイハ戦ウ」の
田河という記者の種を植え、
物語を育てている。
 

そんなテツタさんが
 

今回の稽古場で変わったなと
思うところがある。
 

「認める」
「待つ」
「褒める」
を徹底していることだ。
 

テツタさんは役者がメインだ、
演出はこのテッピンという
自分の企画だからやっている
 

出会った頃のテツタさんは、
もっと芝居に細かくいろんな指摘と
指示のオンパレードだったような気がする。
 

そのあとテツタさんの子供が産まれて
ちょっと演劇から離れたことがあった。
 

あれから10年以上たつ
子供を育てて、その歩みを、みながら
 

いろんな演出の芝居にも出演して
たくさん俳優は若手や年配の交流、
色々な演出家や作品に稽古場と
舞台を踏んだんだ。
 

子供が産まれてわかることは、
この生命が
あまりに、最初、何もできないことだ。
あまりにも無力ということだ。
ひとりで生きてはいけないということだ。
初めは世話から始まり、色々してあげる
 

そこから、一つできて、二つできて
それが喜びで、それが自分の発見で
 

僕はこの稽古場で、
そんな父でもある親のテツタさんの
面影も見ている、気がする。
 

 

戦って、獲得したもの
戦って、捨てたもの
 

続けて、わかること。
 

 

「芝居を続けながら、生きる」
 

 

生活して子供を育てて、芝居もするなんて、
しかも、それを続けてきたなんて。
 

共演している池田ヒトシさんは
海外映画ドラマの吹き替えなどでも活躍されている。

池田ヒトシさんも演出の吉田テツタさんも家に帰れば、
子供があり父親もしている。
どちらも結婚したり学生になったり大きくなっていて、

一般的に見たら俳優業なんて
遊んで楽しく明るくやっているようでも
同じ役者を生業(なりわい)としてきた僕には、
 

その大変さが、想像に難くない。
 

僕にとってそんな二人は
俳優としても父親としても先輩なのだ。
 

芝居が好きだ。
 

好き、だけじゃ生きてはいけない。
 

でも好きは、
確実に生きる力になる。
 

二人を見ていると、
そんな風に感じるのだ。
 

 

演劇の殿堂、リトル本多で
風姿花伝に、おもちゃ箱。
 

 

稽古中のマスクの着用について

 

 

 

このご時世、
例えば電車の中では必要不可欠なことを
 

必要最小限に小さな声で言葉も少なに伝えること、
なるべく喋らないことは
 

社会人の嗜みとして
身につけるべきものであるが、
 

芝居の台詞は、
如何(どう)だろう、
そうはいかない。
 

マスクをしながら相手を怒鳴りつけ、
嗚咽するような時に
 

大きく声を出して
息を吸おうもんなら
不織布のすでに
 
湿り気を帯びた水分が
繊維の空気を
遮断し、
息吸うマスクは
口と鼻の周りに張り付き
くちびるの邪魔をする。
 

しかも満たされない未酸素状態のまま
 

激しい感情とともに
言葉を吐く、
さらに足らない酸素を
求めマスクのまま、吸えば
 

だんだん相手役への意識が朦朧とし、
稽古初期に
やっと覚えたセリフの判断力は
恐ろしく鈍り、
 

僕の消えかけた単語を
さらに思い出しにくくさせる。
 

マスク芝居とは、
なんと不自由なモノか。
 

そもそも
台本の多くは
マスクを想定しないで描かれている。
当たり前か。
 

 
シェークスピア俳優は
どんな稽古を過ごすのだろう。
あの長セリフ、逆上の感情、葛藤の嗚咽。
 

むしろ、どんなマスクをしているのだろう。
 

演出の吉田テツタさんが
バンダナ風マスクで稽古場に来た。
大判なハンカチを三角折にして
後ろで結ぶ西部劇に出てくる銀行強盗みたいなヤツだ。
 

(テツタさん今日マスク忘れたのかな…)
 

待ちきれずに山口さんが
「てった君これ使ってよ」
と未使用の和柄模様のマスクを渡した。
 

「いやこれ、マスクですう!ランナー用のやつなんです」
 

吸うときにはたくさん空気が吸えて吐くときにマスク効果があるもの。
ちゃんと自分からは排出しにくいモノをつけて来たのだ。
 

それいい!と僕は思ったが、
 

次の日からテツタさんは普通の不織布のマスクになっていた。
やはり吸う空気への無防備にリスクを感じたのだろう。
 

ちなみに僕は、何枚かのマスク用意し湿ったら少し我慢して使い、
新しいもの変えることをしてみた。
でも濡れてすぐに息を吸えなくなるけど、
たいてい我慢して使い続けてしまうのだけど。
 

 

役者4人がそろった

 

二月中旬。
「シバイハ戦ウ」台本の中盤まで
演出の振り移しが完了した。
 

地下スタジオでの稽古も一週間が過ぎ
シーンの出来はまだまだだけど、
稽古の進みが速い。
 

次の週で本番を終えたばかりの
山口雅義さんが合流した。
 

ついに役者四人がそろった。
 

ひたすら芝居の流れ、
目指すべき方向性を芯体に叩き込んで
次々とシーンを作り週の最後で
粗く通し稽古。
 

 

ここでの二週間が、ほんとに長かった。
黙々とシーンと台本を刷り込んだ
 

四人だけの出演者、よくやるなぁと厳しい現場を
乗り越えてきた精鋭なんだと思った。
 

役者同士、
セリフ以外はお互いあまり話さない、
コロナ禍というのもあるだろうが
空き時間も少しあいさつする程度だ。
 

僕なんか休憩中も
芝居の集中の邪魔をしないように、気にしたりしてる。
そんな中、今回の最年長の池田さんだけは、
 

なんか面白い話をしている。
スタジオの中央で大抵はテツタさんか
演出助手の松岡さんが聞き役に
 

僕たちも壁際に置いた自分の荷物の前で
なんとなく聞いている。
 

でも、一寸(ちょっと)ずつ役者たちは歩み寄る。
 

「今日寒かったですね」や
「そのジャケットあったかそうですね」
 

その些細な一言、三言、
がとても大切だと思っている。
 

僕の場合だが
その人の底根の安心感みたいなものが
欲しいのかもしれない。
 

稽古場は、ある意味、まる裸だ。
 

稽古着を着ていても、
人は普段、人前で服を全部脱がない。
 

よく言われることだけど、
芝居は心を丸裸にして
晒(さら)す作業でもある。
 

稽古場とはいえ
「誰にでも見せたい」という人は
別だろうけど

普通の感覚なら信頼する人に
その繊細な自分の柔らかい部分を
晒す努力をしたい。
 

そして
大抵の場合、
その繊細な素(もと)の部分は人が見て
面白いものじゃないだろう
 

(本物のヘンタイでなければ…)
 

多くは「魅せモノ」として昇華されていない。
それを稽古は丹念に絞り出し、練り上げ
戯曲と役者と演出で、マコトとウソを調理し
 

人間の
「出汁(ダシ)モノ」にして本番を迎える。
 

マスク姿の稽古場は
コロナ禍のたしなみ
 

相手役の語気の熱と
視線と素振りだけを
頼りにして
 

まるで目ヂカラの仮面劇だ。
 

これは
僕らの芝居と、日常に
何を、もたらすのだろう
 

覆われ隠した口元に
人前で喋るなという禁策に
 

「語られない言葉」はどこにいくのだろう。
 

でも
それはコロナ禍でも
そうでなかった
世の中でも、同じ事だ。
 

 

「語られない」「語られたかった」ことを
現すのが、僕らの仕事の一つだ。
 

そうだ。
マスク姿で物言う術(すべ)こそ
僕らに必要な能力かもしれない。

 

 

 

二月下旬「屋根裏の稽古場より」

2021-3-20 17:52

 

 

窓を開けると
目の前の桜の枝々に
公園を見下ろせる
 

遠くかすむ街が並び
家々の屋根が西日に眩しかった
 

地下スタジオとは、違う空気。
 

二月下旬の小春日和。
 

稽古場を目白を風姿花伝のスタジオから
中野の劇場MOMOの最上階にある稽古場にきた。
 

本番をする
「スタジオあくとれ」は駅の反対側にある
もうすぐそこだ。
 

ついに僕たちは
中野という戦地に、たどり着いた。
 

さながらこの屋根裏の稽古場は
城を睨む高台の駐屯地といったところか。
 

見えないけど。
 

夕方メインだった稽古が、昼から開始になり
僕たちは本番をやる中野に拠点を移した。
 

もう緊急事態宣言で
苦労していた稽古場ジプシーも終わり
ここで一週間稽古をして、劇場入りだ。
 

花は、まだ咲かぬ
枝は、つぼんだままだ。
 

劇場の最上階
屋根裏の稽古場
 

ここは隠し部屋か
まるでガストン・ルルーの
オペラ座の怪人の棲み家だ。
 

休憩中にカーテンが揺れて
夕日向の風が入ってくる
 

(MOMO劇場の裏が公園だったとは、知らなかった)
 

他の団体が本番を演っている最中だ。
この階下はbonbonという小劇場。
うっすらと音楽が聞こえている。
 

そういえばさっき、
 

この稽古場に入る階段がちょうど
劇場入り口で受付の人に
 

「本番中なので、静かに入ってください」
と言われた直後
 

「あれタキさん?」
 

登りかけて振り返ると
受付の人に声をかけられた。
 

「久しぶり?ここ出演(で)てんの」
 

渡されたチラシを見ると彼の名はなかった。
 

5年前に共演した事のある彼は
少女達の小品公演の手伝いをしていた。
 

役者の時より雰囲気の灰汁が取れて、
とても印象が変わっていた。
スッキリしたやさしい顔つきになっていた。
サポート好きな彼のことだ、
生き甲斐を見つけたのだろう。
僕もチラシを渡した。
 

「来月、駅向こうの小屋で芝居をするんだ」
 

この地区は
三つの小劇場がある。
この建物の中ホールのMOMOと
2階の小スペースのbonbon、
向かいの中野ポケット
(このポケットで僕はジャンゴをやった)
 

その上階まで登ると僕らが
今借りている稽古場だ。
 

偶然
隣向かいの劇場ザ・ポケットでは日暮玩具くんの
劇団 tumazuki no ishiの寺十吾さんが
来週から本番というチラシがボードに貼ってあった。
 

(この稽古と入れ違いか)
 

 

こんなふうに
役者はよく劇場で人に出会う。
「シバイハ戦ウ」のメンバーもそうした仲間だ。
 

 

「演」が「縁」を呼ぶ。
 

コロナ換気の窓を
閉め、稽古を再開した。

 

僕は、2場に苦戦していた。
動きの多いシーンで両袖を行き来して
裏をまわり舞台の右と左から出たり入ったりするのだ。
 

台本には「上手(かみて)を観る、
下手(しもて)にはける」と上手下手また上手のオンパレード。
 

ちなみに上手とは客席から見て
右側の事で下手はその逆、
 

しかも演者側になると
「右左を逆に呼ぶ」という、
いわく付きの舞台用語だ。
 

台本を読んでいると、
どっちがどっちだかワカラナくなってくる、
しかも繰り返しの多い言葉が多いので、
 

僕は今どこをやっているのかも
わからなくなるという状態だ。
 

さらに
後半は怒涛の長台詞(ながぜり)で
掛け合いが待っている。
 

息を切らして、
酸素不足のマスク芝居だ。
 

僕が苦労しているので
稽古場に来てスタンバイしている
山口雅義さんの3場までシーンに
なかなか辿りつかない。

ちなみにその前日は
ここまでの稽古に全部を使っていた。
 

しかも今日は
演出助手の松岡さんがいないから
台詞の補助ができない環境だ。
 

 
稽古場にいるのは5人。
舞台の僕ら3人、
客席側には演出をしている吉田テツタさんと
スタンバイ中の山口さんだ。
 

山口さんのプロンプに、救われる

 

ふたたび言い、よどむ
僕の台詞に突然、
 

別の明確で大きな声、
ハッキリとした声量が稽古場に響いた。
 

「ちゃんちゃんてね。でもね、」
「現実のナマの僕らが現在の、」
 

山口さんが
僕にセリフを飛ばしてプロンプをくれたのだ。
 

恥ずかしさと
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 

プロンプとは
出演している役者のセリフの補助をする事である。
 

よく僕ら稽古の現場では
演助か若手役者がやることが多い。
昔、若手の研究生などがプロンプをやると
 

「声が聞こえない」
「それじゃわからない」
 

などと演出や先輩俳優などに怒鳴られたりした。
それだけ舞台の勉強になることでもあった。
 

専門のプロンプターがいた大昔の大劇場舞台では
本番中にも袖にスタンバイして
売れっ子俳優にセリフを教えていたという。
 

 

セリフが出ないことは
役者にとって
苦しいことは云うまでもない。
 

真っ暗闇な洞窟を
無闇に走りまわる
恥ずかしさと
情けなさに
 

僕を導く光の
 

しるべのように
 

明快なプロンプ台詞が
一筋の弓矢のように、響き届く。
 

しかも山口さんは、
しばらく稽古を続けると
台本を見ながら
 

「タッキー、言葉がわからないのと、
セリフの続き、どっちを言うのがいい?」
 

何が問題なのかを
意識して言ってくれている。
 

セリフを絶対覚えてやる。
心からそう思う。
 

そんな山口雅義さんは
「役者モテ」な人だ。
もちろん僕の造語だ
 

「お金持ち」というのは
お金を持っている人。
 

所有しているお金が多いことを言うが
「お金モテ」は、お金にモテている人。
僕は「お金持ち」より「お金モテ」になりたいと、
 

 

だから山口さんは「役者モテ」だ。
 

山口さんは、つねに舞台に出演している印象がある。

なんせ芝居が上手で場を動かせ、間が活き、
なんとも言えない安定感と期待感が在るんだ、
いろんな団体から声が掛かる。
 

稽古場でも、着実でストイックだ。
一緒に現場で創っていきたい役者さんだ。
そして彼が出演すると作品が良くなる。
 

山口さんからのプロンプは、
申し訳ない以上に有難く、頭が上がらない。
 

確実な技術だけではない、わきまえて、
出し惜しみしないから「役者モテ」なのだ。
 

共演者でありながら、
また「ファン度」が上がる。
 

そして
ようやっと
2場のラストまでいき、

 

 

ジョンソン(山口さん役)が扉を大きく叩き入ってくる
3場の登場まで、行き着いたところで、食事休憩となった。
 

 

手作りのお弁当

 

 

お腹が、空いた。
 

他のメンバーみんなは、外へ食べに行ったり、
買って食べているようだ。
 

僕は夕食にお弁当を作ってきた。
 

「シバイハ戦ウ」の稽古は、やたらお腹が空く
 

おにぎり一つとサラダや惣菜なんかで軽くすまして足らず、
お腹がいっぱいだと逆に頭がぼーっとしてしまう。
 

稽古後半になると、
ガス欠になってしまい
体力もそうだが集中力も続かない
 

うまくパワーを回わすためにも
22時までの稽古を乗り越えるためにも

 

シッカリしたお弁当を
自分で作って
持ってくることにした。
 

嬉しいことに
屋根裏の稽古場には冷蔵庫と
電子レンジがあるじゃないか!
(今までの稽古場には
無かったし、使わない手はない!)
 

あったかい
ご飯が食べられるのは
なんとも助かる
 

 

弁当もおかずの献立を
考えるのが面倒なので
 

前の晩に醤油とニンニク生姜で
つけ置きしていた鳥モモ肉を焼いて、
ご飯に乗せ
蒸したブロッコリーを添える
 

他に野菜スープも持っていった。
冷蔵庫から出して電子レンジでチンすると
 

湯気に食欲そそる
焼き鳥丼をガッツリ食べ、
喉ごし朗(ほが)らかに
トマトのスープで身体を温める。
 

腹を満たして
生き返る。
 

さあ、後半。

 

屋根裏からの準備万端
ラストの
修羅を乗り越えよう。
 

 

そして
 

ここを間借りした
屋根裏部屋で
昼夜を乗り切り
 

3月「劇場あくとれ」小屋入りすれば
本番までは、劇場で稽古ができる。
 
もう少し。
 

東京都がロックダウンの要請さえしなければ、
本番を迎えられる。
 

どうなる?
 

一年先延ばした
2020東京オリンピックを控え、
ロックダウンなんて
選択しないしないでくれ。
 

 

もちろん
メンバー内で
健康的に過ごすこと。
栄養と睡眠。
 

 

 

 

 

2月末日「PCR検査という儀式」

2021-03-25 22:42
 

 

2月も末日、自宅にPCR検査キッドが届いた。
 

「芝居は、罪なのか」
 

それは
 

メルカリの小型の段ボール箱の厳重に
仰々しく包まれていたが、
 

開けると小学生の時に見た
学研の知育玩具キッドみたいに
 

拍子抜けした検査回収具が、
一式揃って入っていた。
 

不謹慎にも
「免罪符」という言葉が浮かんだ。
 

ルネサンスも末期の頃、
神からの罪を許される護魔符を
教会が売ったら、バズって
大儲けしちゃって
 

 

「そんなもんで商売すんじゃねー」と
 

 

ルターの宗教改革のキッカケになったアレだ。
 

回収するは
テレビCMでも見た名前の会社だ。
このキッドも、よく売れてる。
知り合いの芝居仲間も、コレだった。
 

開けるのが怖かった。
 

検査結果で役者が一人でも陽性だったら
「公演は中止」という恐ろしさもあり
届いてしばらく居間に置いたまま。
 

 

「必ず、明日までに切手を
貼ってポストに入れてください」

 

 

と制作の三國屋さんから
グループLINEで念を押されていた。
締め切りじゃ、しょうがない。
 

やっと、開けた。

説明書を読み、水色のおもちゃみたいな
小さな漏斗に唇を当て唾を
目盛りのラインまで
プラスチックの小さな瓶にいれる。
 

唾、そんなに出せない。

 

そこに別の容器から保存液を足し混ぜ
シッカリ蓋を閉め、今日の採取日を書き込み、
 

自分の名前とバーコードの印刷されたシールを貼り、
漏れた場合用の吸水シートを巻き、
 

そのまた周りの断衝材のプチプチでさらに保護し、
同封されていたメルカリの搬送用び組み立て段ボールみたいな
 

小箱を作り、唾液の入った厳重な小包みを入れ、
渋谷の宛先シールを貼り、出来あがった。
 

簡単、便利に準備ができた。
 

その物々しさったら、
冷ややかに笑えた。
 

 

「ツバで、罪が許される(かもしれない)」か
 

 

コロナで起きた本性こそ
「罪」の始まりなのかもしれない。
 

僕らは
時間や労働や証券を
売り買いをして
通貨紙幣を得なければ
生活できなくなって
しまったようだ。
 

より売れるものを作り
たくさんの人を食わせ
救うこと。
マネーを得ることは
この世の正義だ。
 

 

ワクチンも検査キッドも
巨万の富が動いてる。

 

 

それで世界は回ってる。
 

お金よりも利息の発明の方が
悪魔の発明に見える。
 

 

「罪」で「快楽」だ。
 

 
そもそも
今の資本第一主義経済は、
ユダヤ人の金貸しの
「利息の発明」が発端だ。
 

神にそむき
楽園を追われた、
罪深き人間たちへ
 

「罰としての労働」
というユダヤ教の考え方に
 

貨幣の「利息」という
「労働(罰)からの解放という発明」が
人類を発展させた。
 

「利息」という「期待への妄想」が
人類を新たなステージに引き上げた。
 

アレよアレよと(お金に罪はないけれど)
 

これが世にハマり拡大急成長して、
大航海時代へと発展し植民地を広げれば加速した
繁栄と貧富の差を持たらし、
恐慌をやらかし大戦争もやってのけ
 

 

資本経済へ繁栄と更なる
マクロの進化と謳歌をしたけど
リーマンショックに泡とハジけて、
 

さらに虚をつくコロナ恐怖で
世界経済はもっと閉塞しているという
末世に至った。
 

 

「利息の妄想だけが膨れ上がり膨張した、空っぽの理想へ」と。
 

 

そもそも「罪」という言葉が
西洋の考え方っぽくてキナ臭いのは
 

人間がもともと罪を背負い、
神から罰を受けて生かされているという、
罰当たりな僕には
今だピンときていないところに

 

端を発しているからだ。

 

だいたい稲作文化には
 

「働かずに生きるため」の利息なんて嗜好はない。

 

実りを願い作り収穫を祝う、
「土地と共に生きる」だけだ。
 

芝居は、罪なのだろうか
 

まるで「通貨」儀礼だ。
 

PCR検査の結果がコロナ陽性じゃないから
公演が許される免罪符を
僕たちは買っているのか。

 

しかも検査法が
ツバを吐いて審判を問う、とは
なんとも皮肉で背徳的だ。
 

罪と罰(ドストエフスキー)
ツバとバツ(回文)
 

それしても
生きていくための人間の条件が
こうも色々と翻弄されていくことに、
 

すでに絶滅した
氷河期の恐竜よりは
マシだろうと、思うしかない
 

僕らは
新しいウィルスに
対抗して
生き残れるのか。
 

僕は
芝居を、続けられるのか。
 

311の震災もあった。あれから10年目も、
さらにコロリとコロナで世の中が変わっていくのを
目の当たりにしているのは確かなことだ。
 

僕らはそんな中で
更にたくましく、
したたかに生きるしかない。
 

切手220円分、
梱包された検査キッドに貼って
赤い郵便ポストに入れて
 

 

稽古に、向かう。
 

 

あとは検査の結果を待つ。
 

 

 

 

3月1日「劇場入り」

2021-03-20 17:52
 

 

2021年3月1日
「スタジオあくとれ」に、小屋入り。
 

狭い階段を降りると、
何もない素舞台と客席があった。

 

この劇場に入って
池田ヒトシさんの芝居が
みるみる変わっていくのを
目の当たりにした。
 

いい演技は、瞳の奥に灯が宿る。
 

間近に、そんな顔の表情を見ながら
自分が役者として稽古できることは
ずいぶん久しぶりだ。
 

活き活きとしたツヤのある芝居を
僕より年配の俳優さんが、
額に汗しながら僕自身に演技を当ててくれている。
 

だから僕も誠意いっぱい返そうとする。
 

セリフだけではない。
 

なんだろう彼自身が
この劇場全体に染み込んでいる空気を吸い込んで、
吐き出しているような。
毛穴という毛穴にスポンジの如く
 

カラダ全部に吸収して
その質量を肉厚に
増大させているような
迫力がある。
 

この劇場がそうさせるのか。
水を得た魚か。荒野の獅子か。

 

その訳を
池田さんが本人が語った
若い頃のエピソードから
知ることになる

 

第二の緊急事態宣言が解除される来週。
3月12日に
「シバイハ戦ウ」の幕が開(あ)く。
 

去年の12月に、
この劇場でみんなと初めて顔合わせをした。
 

「今まで見た芝居で、一番面白かったのは何?」
 

という質問を、みんなが照れ臭そうに答えていた。
劇場が、なんだかとても懐かしい。
 

 

前日の稽古後、今日の小屋入りのために、
テツタさんと駆けつけてくれた
奥さんのリエさんが
本番で使う役者たちの荷物を
 

自転車に括り付け
MOMOの稽古場から駅の反対側にある
 

「スタジオあくとれ」まで
運んできてくれていたのだ。
 

ちなみに「小屋入り」とは
本番に向けて劇場に入ったことをいう舞台用語。
「小屋入りした」という。
 

「おはようございます」
「よろしくお願いします」
 

もう演出の吉田テツタさんが客席にいた。
舞台監督の横山くんも動いてる。
 

素舞台にテーブルや小道具が置かれ、
ソワソワと準備が始まっている。
メンバーが揃うと劇場で
稽古開始だ。
 

「うわー狭いなぁー」
 

という田河の第一声が劇場に響くと
そこはもう物語の世界だ。
 

すかさず演出の吉田テツタさんの
「もうちょっと、蔑(さげす)んだ感じで」と
指示が入る。
 

実は今までの稽古場が地下のスペースや
屋根裏部屋だったのもあり
 

「狭い」という言葉を、
この劇場の広さに
「感歎」して言ってしまったようだ。
 

そりゃそうだ、今までの稽古より広くて
小屋入りの嬉しさが、素直にでた。
 

所変われば、台詞も変わる。
 

役者は稽古場から舞台という環境に、
芝居を成(な)らせていく。
 

大ホールで音声マイクを
つけながらの芝居と
今回のような小劇場じゃ
 

リアルも変わってくる。
そして、なにも日常の自然風だけが
舞台上のリアルではない。
 

役者は見つけようとする。
『その空間で一番伝わる瞬間』を
 

よく舞台出身の役者さんがテレビに出ると
芝居が大袈裟に見えるなんてことを
言われていた時代があった。
 

また「半沢直樹」みたいなテレビドラマ作品は
舞台の役者さんでなければ
あの説得力は出なかっただろう。
 

自然な日常を普段のまま
生きている人たちが
同じ真似をしても
滑稽すぎるほど埋まらない。
 

生(ライブ)の大きな箱で
鍛えられたのが
生の肉体だけではなく、
舞台という非日常の多くを
 

劇場と
観客とともに過ごした
 

「場の説得力」こそ、
日常をはるかに超える迫力と魅力を
役者に与えるからだ。
 

そして劇場には、
何かが宿っている。
 

役者には
鬼金な舞台がある。
小劇場は、特にそうだ。
 

下北沢ザスズナリ、
駅前やOFF OFF、
本多劇場、紀伊國屋ホール、
駒場のアゴラ。
 

もう締めてしまったけど、
新宿シアタートップス、両国ベニサン・ピットもあった。
 

最近なら王子小劇場、新宿space雑遊 だろうか。
立ったことはないが日暮里d倉庫なんかもそうだろう。
 

僕なら下北沢「劇」小劇場だ。
 

あくとれで稽古を始めて、
池田ヒトシさんの芝居が
みるみる変わっていくのは、何故だろう。
 

そこに立つだけで何か空間を
成立させてしまうような
「場の説得力」を引き上げてしまう場所。
 

 

これは役者だけではない
スポーツ選手や将棋の棋士だって
勝負の相性にいいスタジアムや
会場があるのと同じだ。
 
 

そういえば
池田さんの芝居を初めて見たのが
この、あくとれだ。
僕はその時、観客だった。
 

 

翻訳ものでこの「シバイハ戦ウ」の作演でもある
吉田テツタさんも出ていたのが縁で、
 

芝居を見たあとの呑みで、
気さくなおじさんだなと思った。
 

 

「いつか芝居をやろう」
 

 

なんて言葉は、観劇あとの
役者同志の飲み会でよくある話。
 
 

それからもう20年近くなる。
いつかが、いつかで今、
ここに。
 

「ここで芝居をやってさ」
 

昔、池田さんがあくとれでの公演中、
昼本番の後に劇場前の寿司屋で役者たちと食べた。
その夜が最悪だった。寿司に当たって、

 

みんなが青い顔しながら
一生懸命セリフを言い、出番を終えた役者が、
 

変わる返し、真っ直ぐに袖のトイレへ駆け込んだ。
 

「その、目をひん剥きながらの、
本番の顔ったら ガハハ」
 

今回「シバイハ戦ウ」での
池田さんは、劇場の支配人の役だ。
あくとれの思い出の話しが役柄と重なって、

 

「これが小劇場なんです」
 

と台詞が聞こえてくる。

 

 

池田さんがまだ20代の頃、
登場するシーンの稽古で
 

出るたんびに
「それ駄目」
「違う」と
 
 

演出からダメ出しを喰らい。
ワケがわからなくなって
 

あくとれから飛び出し、
近くの公園でずっと時間を潰した、
若手だった昔。
 

人は歴史を、その身体に内包している。
役者はそれを舞台で開放している。
 

この劇場の前、料理教室が入っていて、
自分たちで改装して、スタジオにした。
 

 
重いキッチンのシンクや台所を、
階段から運び出して、
楽屋への壁を仲間と劇場を手作りした。
 

(僕の中野島稽古場に似ている)
「らさらば、中野島稽古場」より
 

台本に書かれていない
セリフで言ってはない
けれど
 

 

支配人が
今はコロナできなくなった演劇への
諦めにも似た憂いを
 

小劇場を知らない
田河に語りかけてくれている。
 

目の奥の、灯とともに。
 

そして田河は記者の役だ。
僕はその言葉を一言も漏らさず、
 

聞き、調べ体感し
その面白さを、
読者に伝えなければならない
 

(このエッセイもそんな役者の語り草だ)
 

役者たちは
「秘密の言葉」で
交信している。
 

演技という、
台詞と所作の隙間にまとう
沈黙の言葉を。
 

それが「場の説得力」となって
迫力の緊迫感を作り出している。
 

映像では、
はみ出してしまうほどの
ライブ感。
 

 

池田さんの台詞が
轟音の中に響く
 

 

「これが、小劇場なんですッ!」
 

 

もう忘れられた劇場の
小屋主にしか、

 

見えなくなった。
 

 

 
……………………………………………………
ところが
 

そんな僕らに、
非常事態宣言の延長のニュースが入ってくる。
8日の解除が、二週間も伸ばされるというのだ。
 

 

僕らは、静まった。あーそーかー。
と、こぼした。
 

12日からの本番をまたいだ延長が
客足に影響のないことは、ありえない。
 

予約を頂いている
来ると決めていたお客さまにも。
 

それにも増して都からは
20時までの営業自粛要請。
 

僕らの芝居は
2時間弱の長さ。
 

19時30分からの公演を早めるべきか。
チラシの日時は変えられない。
 

どうするべきか。
 

 

芝居は戦う。
 

 

3月12日「最終話 そして幕が開く」

2021-04-08 16:13
 

ドラえもんに「石ころ帽子」というひみつ導具がある。
それを被ると誰からも見えなくなり、
そこに居るのに気にされなくなるのだ。
 

「どこにでもある石ころ」みたいに。

 

 

2021.3.12.
初日の幕が開こうとしている。
 

今や劇場には準備の活気と
座席から感じる
お客さんの熱気や密度は
 

一つの舞台に向かって、
たどり着いた
 

この劇場にいるという、
その迫力があった。
 

本番直前に
解除間近だった緊急事態宣言は
公演差し迫った3月に入って
さらに二週間も延長してしまった。
 

僕らは開演時間の変更を考えた。
 

刷って公開してしているチラシと
最速のネット情報とお客さんの足と、
 

ただでさえ
ゴチャゴチャしている情報に
僕らが巻き込んではならない。
 

だから変えないで、
そのまま続行することにした。
 

劇場に来て頂く
お客様のために
制作の三國谷さんが自前で、
 

消毒液散布ポンプ
足踏み式の手指用エタノール
消毒スプレースタンド
顔モニター付き電子体温計を、
揃えてくれた。
 

いまだコロナ禍の隣席に
人が居るということは、
それぞれが責任を
持たなくてはいけないと
いうことだ。
 

劇場に来るとは
覚悟のいることだ。
 

ドラえもんに「石ころ帽子」という、ひみつ導具がある。
それを被ると誰からも見えなくなり、
そこに居るのに気にされなくなるのだ。
 

「どこにでもある石ころ」みたいに。
 

ネット配信が「石ころ帽子」のようなチケットだと
僕には感じられた。
「座席に在るのが石ころ」ならば、
感染することは絶対ない
(石ころだなんて失礼極まりないことは、わかっている)
 

 

そして、人がたくさん集まれば劇場に来なくたって、
お金が動くだろう。
 

 

世の中の仕組みはそれでいいし、
そうじゃないと生きられないと
僕たちは信じ込んでいる。
 

 

劇場だって50人しか入れられない客席よりも
1000人が同時に観てくれた方が
いいに決まっている。数字が動く、数値が上がる。
影響力が違う。なんの?どっちの?
 

いや
ネット配信の批判ではない。
それは方法の話だ。
 

双方否定のために同義を
違(たが)えてはならない。
 

そうだ。僕たちの目的は、
同じはずじゃないか?
 

戦いは乗り越えて、
その足跡を
後の世代に受け継ぐことだ。
 

それぞれが
同じ空気を
呼吸している
かけがえのない
一人ひとりの存在として
 

来られなかった、
たくさんの顔が在る。
呼吸がある。
 

いけない理由もたくさんある。
僕たちは一人、ひとりだ。
 

だから、
この時間がこの劇場が「かけがえ」がないのだ。
 

だからこそ
定員より半分以下に
減らした座席の
さらに隣を空けて、
おのおのマスクをしていただき、
 

会話も控えて
ソーシャルディスタンスの観劇は
申し訳ない気持ちとともに、
 

もう感謝しかなかった。
 

楽屋の鏡前で
テツタさんが観劇前の口上を
切っているのが、聞こえる。
 

お客様さんのざわめきと、笑い声。
 

 

もうすぐ幕が開く。
 

 

 

「たっきー、そこは『え。マジかよ』って、感じで」
 

 

 

稽古のとき
どうしても言えないセリフがあった。
 

「そこは『うそだろー』みたいな、
肩の力が抜けて、
 

思いもしない声が出てしまうように」
と演出の吉田テツタさん。
 

 

『え⁉︎』
 

 

その一言が僕には表現できなかった。
返し稽古は、その場で出るのに
通して芝居のシーンが来ると
違うトーンになってしまうのだ。
 

 

僕の演る田河は、
自分の身体を動かせない
絶妙絶命の状態にも関わらず
 

信じられない人体実験を迫られる。
自分の死を予感せざるおえない。
 

まさか?俺が?うそだろ、まじで?
 

という心からの声だ。
 

 

この舞台の照明の場当たり、
飾り付けをしているときスタンバイされた小
道具の機材に懐かしい劇場の名前を見つけた。
 

 
「狛江スタジオBEフリー」
 

 

見せつけられる
想いの瞬間、僕はわかった。
田河と僕のちがいを。
 

それはもう無いスタジオで
舞台監督の横山くんの備品だった。
「狛江」の部分は
切り取られて無くなっていたけれど、
 

確かにその名だ。
 

芝居を始めたばかりの20代、
訳もわからず、とにかく演劇に
若い感情をぶつけていた頃、
 

 

阿佐ヶ谷のアルスノーヴァの
次の劇場として学生劇団で、
よく使っていた小屋の名前だった。
 

僕はそこでも
白いタイツ姿の天使の格好をして、
笑いのシーンをしていた。
 

そして田河にも、
天使になる、場面がある
田河は一度、死ぬ。
 

でも天使の白タイツで
立ち上がる。
 

コロナとか、
なんたらディスタンスの
問題ではない
 

田河は、あきらめていない。と。
 

捨てない、場をやり過ごさない
見えるのが「虚無」であっても
傷跡であろうとする
 

 

希望を持って行動する
恐怖と畏れで抑えつけられ
身動き取れない状況でも
死を突きつけられても
 

その直前まで
 

20代の「スタジオB eフリー」の頃
芝居で喰っていけるのか
将来がどうなのか
そんなことは、わからない
未来をあきらめていなかった。
 

事情?そんなことは関係ない。
 

だって命は、
今を生きている
 

僕の田河は
あきらめていた。
 

だから、
言えなかった。
 

もう駄目だ、
こんなことをやっても無駄だ。
なんの意味があるんだ。
全ては無意味だ、と。
 

でも演出のテツタさんと
描かれていた田河は、
 

諦めてないなかった。
戦い続けている。
 

だから生き返る。
 

誰もが言えなかった言葉。
行きたかった未来。
語りたかった言葉を
 

活きるのが僕らの役割だ。
 

 

「スタジオBEフリー」
 

 

まだ舞台を続けていたんだ。
有難う。諦めないで続けよう。
周りには、たくさんの人達が
支えてくれた
 

 

役者のみんな、それだけじゃない
 

テツタさんの奥さんのリエさんは、
劇場にも来てくれ雨の本番も黒い服で
裏に付いて心強かった。
 

精密なMicroドローン模型を
作ってくれた中学生のライトくん、
 

 

ラスト屋台崩しの大仕掛けも
大変だった舞台監督の横山くん、
 

音響だけでなくモデル銃とエアガン所作と
嗜み全てを教えてくれた根岸くん、
 

本物そっくりな蛍光灯と
劇的な照明舞台を作った
阿部さんと操る佐藤さん、
 

 

年末にチラシも大きな幕も描いてくれて
僕のナイフの受け渡しとかも、演出助手松岡さん、
 

制作の三國谷さん、みんな有難う。
ほかにも他にも。
 

 

本当にたくさんの人たちだ
そこに、劇場で迎えた人たちが加わる。
 

「石ころ帽子」を脱ぎ捨てよう。
 

 

生きること
ただ、誠実に活きること。
 

 

ネット配信は、
どこまでやっても完璧な映像作品だ。
 

記録の問題ではない、
これは「記憶」の問題だ。
 

ともに生きていること。
 

同じ場所で
同じ空気を
「呼吸した記憶」のことだ。
 

普段、僕たちは頭の中で生きて
騙し絵の中でも生きられる
 

でもほんとうの命はどうだろう。
魂は震えているか
 

僕には本番が
「一つの生き物」のように思える。
 

「劇場」という巨大な生きた塊が
同時に、蠢(うごめ)き、
笑い泣き怒り、
歓喜歓声をあげる。
 

マスク向こうの本性が
同時に叫ぶ。
 

今や茶の間に居ながら
ネットの中継技術がチャットやアバターの進化で
「リアル」な数字と文字と配信に、
化けたことだろう。
 

 

僕たちは「劇場」という
生き物になり
 

 

本番を乗り越えて、
生き還る。
 

 

シバイハ、マダ、
戦ッテ、イルカ?
 

 

 

「おーい、だれかいますかー?」
「どうぞ」
「あはい」

 

 

 

 

(完)
 

 

 

最後までありがとうございました。
本番は無事終了しました。
 

後日談ですが、田河が最後に天使姿なるシーンで、
その天使の輪っかを袖の舞台監督に投げつけるシーンがあって、
 

千秋楽のお客様からの笑いが
とてもスカッとした暖かい感じで、
 

「ああ、田河が救われたんだ」と思えました。
 

「何にも、あきらめていない田河」を、
演じられたかもしれない。
 

そんなことを思いました。涼

 

 

 

 

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -
俳優 YouTubeダーさん  プロデュース公演に参加したり若手作家たちの作品にも精力的に多数参加。そのBEEPでDEEPな交友関係はかなり広い。YouTubeチャンネルは保育士さんや子供たちに大人気。また国民的テーマパークのショーアクターとしての実績も長い。 絶対青春コメディ sing!!! 九州公演 2022/01.14〜15 劇団S.W.A.T!公演「ある超能力者の記録」2022/02.10~20 など
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