【掟の門の先に】カフカ 「掟の門」より

結婚式は
まるで「ジェットコースター」だった。
半年前から進めた計画も、
怒涛のような1日で終わった。
瞬く間に過ぎる景色の中、上昇と下降の急展開があり、
ドキドキと興奮と息もつかせぬ解放と疲労と、
ゆったりとした余韻。
朝、まどろんだ明るいカーテンを見て布団の中、
昨日のことをうつらうつら振り返っていると、
ふとフランツカフカの「掟の門」という短編を思い出した。
屈強な門番が立っている。男はその門の前で立ち往生し入ることができない。
結局、男は門の目の前で息を引き取るのだが、死ぬ間際に、門番が男に言うのだ。
「掟の門は、誰にでも開かれている」と。そうして屈強な門番は、初めて門から離れる。
この「掟」とは、たぶん「タブー」ということなのだが、
この話、よく社会でのタブーとかルールとかに解釈される。
でも本当はどうだろう。僕は思った。
これは「自分でも知らないうちに築いている【自分のタブー】なのではないか?
短編の男は息を引き取るが、
もし彼が「私はこの門に入る」と【宣言】し門をくぐれば、
門番は歩みを阻むことはなったに違いない。
ただ、門をくぐったあとには、また新たな屈強な門番が立っているだけだ。
「締切」や「整理」「支払」「計画」「責任」と言う名前の付いた。そして最初の門番は、きっとネズミに姿を変えている。
布団の中で僕は、半年前にその門をくぐったんだ。
昨日のことを振り返りながら、そう思った。
自分のなかで知らずに作っていた「結婚する」というタブーに思い切って飛び込んでみた。
その先に何が見えたろう。振り返りながら思う。
僕は一人ではなかったということだ。
僕の周りでたくさんの人たちが、動き、めぐり、つながり、
昨日の一日は目まぐるしく、親戚、家族、友達、仲間、
これからの新しいつながり、
さらに僕の見えない周りで渦のように人人人が連なって大きくうねっていた。
しかも、僕らのための言葉をかけてくれた。
そうして、この刹那みたいな豊穣の時間のためにより多くの時間を費やした。
これは、なんなのだろう。
僕にとって結婚は【覚悟】だった。
掟の門とは、覚悟の門だ。
覚悟の後に苦悩があり、
思考と改善と挑戦がある。
そして、きっと豊穣だ。
カフカの門前の男は多分、孤独のうちに死んでいったのだろう。
「彼に起こる何ものも、彼を、変えることはなかった」と。
密度の濃い「一瞬」を
僕は永遠と呼ぶ。
「永遠」の多い一生は
幸せだ。
20180511am648