観劇とラーメン屋の話(新国立劇場と懐かしい演劇人)「原題 麺めんはなし話」

井上ひさしは劇で観るとなぜか後半眠くなる。去年みた蜷川演出もそうだった。戯曲で読むと、そんなことないんだが今回も盆を使った演出とか、永作博美の女将さんやら、とてもいいんだが、たぶん劇に流れる生理的リズムがそうさせるのかもしれない。(「雨」という作品です。補足)
ま最後はアッといわせて、眠かった事なんて忘れちゃうんだけど。
甲州街道沿いのラーメン屋さんに、行くことにする。
何年ぶりか、わすれた。まだだっけ、なんて歩きながらカシオ計算機の白くスマートなビルを過ぎると、雑居なアパート的建物の一角にあった。
もう食べ終わりそうな背広の人がいた。注文を頼みながら、
アイツがここでバイトしてたっけ、なんて思い出す。
劇団ではほぼ同期、横浜育ちで、川崎の稽古場にスポーツカーでやってきていた。
なんて書くと巨人の星の花形ミツルみたいなタイプかと、思うかもしれないが、ほがらかで仲間思いの熱い男だった。ここは、アイツが働いていたラーメン屋なんだ。
隣のお客さんがお勘定をした。
お店を見渡すとが、おつまみの安いメニューが、増えていた。ラーメン屋のツマミというよりは、居酒屋さんみたいな。
このご時世、こだわりのラーメンだけじゃ難しいのだろう。
しかし、ちょい呑みだけなら、ホント安価い。シメのラーメンが旨いのだろう。
厨房にもどりながら、
「あ水餃子なら、すぐできますよ」
じゃあ、
「辛みそダレで」
普通のもあったが、こっちがいい。
どんなラーメンだっけと、思い出してみる。
カツオのダシがアッサリした味じゃなかったかな。
そしたら、アイツの軽快なせりふ廻しを思い出した。
劇団に入って研究生の時代から、いつも僕の先を走っているヤツだった。
同期では、いち早くメインの役どころにキャスティングされて、先輩たちの間で芝居をやっていた。僕といえば、ワンコーナーの一発ギャグに挑んでいたけど。
人一倍努力家だったし、一度台本をのぞいたことがあって、書き込みが恐ろしいくらいされていて驚いた。
僕の台本といえば、まっさらなもんで、台詞のアタマに漫画の吹き出しみたいに、「ドカン」やら「グチャグチャ」や「ハッ?!」と教科書の落書きだ。この店はアイツが、研究生の時代から劇団員の若手になって、バイトをしないで外の芝居の仕事でボチボチ喰っていけるようになるまで、やっていた場所だ
前は明るい蛍光灯だったが、呑み屋仕様の明かりの下でみる、
この暗がりのスープからは、あのスッキリした味と色味が重ならなかった。
いや、
あの味だ。
ライバルだったと思う。
仲が悪いのでも良過ぎでもないが、一緒に組んだ芝居はどんなセリフがきたって、返していた。アイツもアイツで、土下座する手を僕が思い切り踏んでしまったのを、場面を壊さず続けた。
ずいぶん経ってから知ったりするんだ。
やっぱり、この味だ。
豚骨なのに、脂(あぶら)の臭みが一切せず、カツオ節のダシが鮮やかに、のどを熱く突き抜ける。
見かけのコッテリさは、麺と一緒に口に入ったとたん、サラリとした魚介の風味に変わる。
あと味のサッパリした感じは、アイツだ。
芝居を熱く語った。
「来たらサービスしてやるよ」
って言ってくれたのに、働いているときは、ついに一度も行かなかった店。「豚骨の脂をとるのが、時間がかかるんだよ」
その言葉に、こだわりと細かさが重なる。
僕はどこか、ラーメン屋のアイツを見たくなかったのかもしれない。
音をたてながら、中太な麺をすする。
辛みそダレの水餃子は小皿にあふれている。
ゆっくり破れた皮の熱さが、青ねぎの薬味と甘酢っぱいゴマダレを、ひき肉の湯気が香る。
ここには、もういない。
そして、芝居も辞めてしまった。
でも、いまだ身近に感じるのは、なんだろう。
学生時代の友人は卒業してしまえば、そうそう会わないが劇団というのはそこにいると、いつの間にやら随分と共通の時間が過ぎたことに気がつく。
もしかしたら家族の次に、長く濃い時間を過ごしているかもしれなかった。
だからだろうか。
アイツから辞めると聞いた時、
「そうか」
と、それだけ言ったと思う。
あまりしなかったメールはたいてい、お互い
「今、客演してるよ、よかったら」くらいのやり取りだ。
辞めたあともアドレス はそのままにしてある。そのアドレスが使えなくなったとウワサも耳にしたが、僕から送らずそのままにしてある。
アイツが決めた生き方だ。
とても愛したモノから離れるとき、一切を消して忘れたくなる気持ちは、僕にもわかるよ。
まだ、演っているよ。
そう、次に会うとき伝えられるかわからないけど。
僕はたぶん、演っている。
だから
熱いままに、アイツの味を飲み干したくなったんだ。