現代のスタニスラフスキー【観劇の再会 鐘下辰男のワークショップ】役者と戯曲のリアルについて
観劇の前、座席で何気にめくっていた折り込みチラシに、その名前に驚き、観に行こうと思った。別に旧知の友というわけではない。
信濃町は新宿御苑の近くでもあり
絵を描く知り合いの展覧へ幾度か足を運ぶことはあっても、芝居には縁のない土地だった。
しかし演劇の殿堂、文学座のアトリエはここにあった。
7・8年くらい前、劇団の芝居だけではなく外の公演への出演を求め、劇団色とは違った形式の演劇を学びたくて、やたら劇場やワークショップに足を運びオーディションを受けていた
その中でも、未だにインパクトがあったのはTHE・ガジラの鐘下ワークショップだ。
鐘下辰男は、うちの座長 四大海と同時代の演劇人で駆け出し時代はよく演劇祭でも肩を並べていた、とは聞いてはいたが直接会ったことはなかった。
それまで何本か見ていた彼の演劇は、事件や古典などを扱っていて、しかもかなり生々しい表現だし、使っている音響もビックリさせるものが多く、正直あまり好きではなかったが友人の勧めもあり、絶対受けた方がいいよと言われ、当時は高価いなと思ってた受講料を払い、彼の数週間のワークショップを受けてみた。
初めて会う役者さんがたくさんいた。
授業の合間には知らないもの同士、自己紹介などをしていた。
鐘下さんの教えているリアリズム演劇の信奉者かなと思われる役者さんもいて、変な迫力を感じつつ、コレ僕についていけるかなーと心配していた。
しかし彼から教えられた演劇は、僕にとってお芝居というものを、ある意味「 楽」にしてくれた。
例えば、
・「間」は時計の音を聴けばいい。
・即興などの実演で「見えない椅子」みたいなテーマを渡されて、透明の椅子を見るふりをするな。床を見ろ。在るだろ。
とか
・役者とは結婚詐欺である。笑
とかとか。
上記ノウハウのソレは僕が雑に省略したメモなのでこんなことは言ってなかったかもしれないが、その根底に流れている劇を演じるというリアリズムの捉え方への切り口は、それまで僕が漠然と憧れていた芝居というものを、明確に気がつかせてくれた。
そしてもっと深く、辿りつくには難い
「今ある」つかみがたい何かを、「この場」に再現させる試みに感じた。
語り口やさしく、時に熱く、薄い茶色のサングラスに当時もじゃもじゃのロン毛を搔き上げ、ひょろっとした細身のGパン姿は、昭和に見た刑事ドラマに出てきそうなアンちゃんだった。
ワークショップが終わってしばらく、届いた便りに彼女の名前があった。小さな茶封筒に折り曲げられた公演のお知らせ、手書きのメッセージがはいっていた。そのチラシ、演出に彼女の名前があった。
そういえば役者ではなく演出をやりたいといっていた学生の娘がいた。
結局その公演には行けなかったが、少々変わった名前だったので覚えていた。
それからもう10年近く経つ。
最近、世田谷から川崎への引っ越しの整理をしていて、その茶封筒が出てきてワークショップを懐かしんでいたばかりだった。その時はなんとなくだったが、劇場の折り込みに再びその名前を見て驚いた。
「まだやっていたんだ」
彼女は2つの小品のうち1つの演出をしていた。
久保田万太郎の作だ。はっきり言って時代の言葉だ。今はもう遠い昭和をどう現代に黄泉還らせるのか。
【ここから、ネタバレ注意】
厚めの平台に貼り付けられた十帖ほどの畳が割れ、移動する。役者はひやひやと当然のように歩く。気性の荒い姉が帰ってきて、少々便りない弟は追いかけられる。畳を押しているのは、舞台の世界とは関係のない役者はたちだ。
姉が銀座で買ってきたサンドイッチ。
包装の袋から大事に丁寧に開けられ薄いセロファンを剥がし、パクリとほうばる弟。その横で、おこわを美味しいそうに食べる姉。僕は体験していないけど、まるでその時代の特別なサンドイッチの匂いだったり、おこわの粒の甘さだったり、
それは多分演出の彼女が大切にしていることだ。
近くで三社祭が行われているのも、書かれたト書きにあるのだろう。普通は録音のBGMだろうが、最初は現代のラジカセから流させ(遠くで聞こえるからだろう)
そのあと
実際に太鼓や笛とちゃんちきで、祭りの精?が舞台で鳴らしていた。実際に佇む姉の心情の強さと重なる。
最後に消される御神灯のホンモノの火のロウソク。
役者に不安定な畳を歩かせながらのセリフ。ちゃんと丁寧に包装を開ける。ロウソクの頼りなくも危なげな和紙の提灯につける。奥の女中に舞台から退場させないで舞台奥に作られた台所で小さな料理をさせる。
録音ではない本モノの太鼓に笛とちゃんちき。
そして当時の戯曲のままの台詞と時代を浮かび上がらせる。
そう言えば鐘下さんの講座で使った岸田國士の「紙風船」も時代を含めて、現代にどうこの戯曲を上げるのかを説いていた。
演劇とは時代の言葉である。
戯曲とは文字である。
それをどう今現在、立体にして還らせるのか
演劇の定本スタニスラフスキーの演技術で有名なのが、過去の体験や想像をつかって劇での役の感情をリアルに再現させる方法だ。
鐘下さんの演「劇」術の極意は外部から実際に役者たちの状況を刺激して感情や劇空間をドキュメントしていく。
いわば外的要因からのスタニスラフスキー解釈だろう。
役者の日常の再現の延長だけが
自然な芝居では、足りない。
「劇空間での日常がある」
と言っているようでもあった。
その「リアルな日常」を
役者だけではく、客席も
それをライブとして感じるのだ。
たぶん他にも色々学ばれてきたと思う。
だけど、そこかしこに、その根底に、鐘下さんのリアリズムがあったように思えた。
そして、自分のものにして表現していた。役者もそれに応えていたと思う。
もしかしたら
文学座のアトリエという、今まで演劇と数えきれないくらい役者やお客さんを宿してきた、この場所の魔法のせいかもしれないが。
聞くだけでも足らぬ。
覚えるだけでも足らぬ。
演って、初めてものになる。
劇場を出て待ち合いテントのお客さんと役者さんが囲む石油ストーブの中に、おそるおそる彼女を探した。
もしかしたら同じような名前で別人かもしれない。
「あのう演出の…」
「あ、あそこに」
すみません、昔、鐘下ワークショップで…
彼女だった。
「あのときは、学生でした。もうこんなにおばちゃんになっちゃいました」
いやいや、演劇も瑞々しかった。
「初日おめでとうございます。」
感想もままならない口調で思ったことを伝えた。
「いいお客さんですね」と笑いながら。
演劇のおもしろさを伝えられるのなら、僕はいつまでも、いいお客さんでありたい。
「わたし名前、変わったんですよ」
時代は巡り、また続く。
「ほんとに来てよかった」
そう伝え、
石油ストーブの匂いの
劇場をあとした。
大切に思うこと、
それを持ち続けながら
今ある仕事に込めること。
夜風は、冷たくも、寒くはなかった。